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2013年2月19日(2月前半)

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春のにおいがしたかと思うと雪がふり、
安定感のない天気がいたずらに気分を刺激します。
季節の変わり目を教えてくれているようで、
いよいよ春だなと僕も動き出す準備を整えます。
大学の課程をすべて終えて、
卒業認定を待つのみとなって数日、
頭の中は未だ目まぐるしく動いているものの、
体がそれについていかない感覚を覚えます。
疲労や心労によるものではなく、
おそらく体が頭を休めようとしていて、
一度僕の全体的なバランスを取ろうとしているのではないかと思うのです。
体が先行したり、頭が先行したり、心が先行したり、
バランスのいい時なんて滅多にありませんからね。
区切りのいい今の時期、
比較的一番安定している体が、
頭と心を癒そうとしているのかもしれません。
そんなことを考えながら、
雪の降る中、暖かい部屋の中でコーヒーを飲みながらゆっくりこのブログを書いています。
少し遅れてしまいましたが、2月前半の更新です。



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安定感



先日、大学での最後の授業を終えるまで、僕は1枚の絵と必死に対峙していました。
働きもせず、ただただ絵のことを考える2週間を過ごしたのです。
制作の観点言えば追い込み、
それとは切り離した僕の心の観点で言えば、
この2週間はこれまでにないほど自分と向き合った時間でした。
そして、改めて僕は自分自身を「凡人」だと認識したのです。
「凡人」の僕はどうやったって僕の中から消えてくれません。
いつでも逃げ出す姿勢を取って、僕の気持ちをあざ笑うのです。
何に必死になったのかよくよく考えると、
絵の奴隷と化して過酷な労働を避けようとする「凡人」の説得でした。
色々な方法を試しました。
朝散歩をしてみたり、
BGMを色々試したり、
時間を決めて外に朝食を取りに行ったり、
丁寧にコーヒーを淹れたり、
割り切って映画を観たり、
睡眠時間を決めて昼寝をしたり…
「そんなことやってないで絵を描け!」
と僕の頭が理屈を並べて心と体を責めるのですが、
やはり理屈だけでは無理なのです。
どうやったって、全てのバランスが取れた本物の集中力は2~3時間しか持ちません。
また10分休んで、2~3時間というわけにもいかないから厄介なのです。
これはもう数々の制作、勉強を通してはっきり分かっていることです。
僕はその程度の人間なのです。
僕は自分自身をそう認識した後、
その割り切った部分に生まれてきたのが「安定感」でした。
「頑張る」
「自分を追い込む」
こういう言葉を使うのは、日本人の美徳に触れます。
しかし、もう僕は自分と真剣に向き合い多くの話し合いを重ねた結果、
そこに価値を見出すことはなくなりました。
僕について言えば「絵」が求めてくることに対して、
いつでも高いパフォーマンスを発揮できるように、
出来るだけ自分を安定させておくことが重要課題なのです。
夜更かしや、食を軽視して、その安定感を欠くものなら、
それは絵に対する敬意の欠如でしかありません。
もう、
「自分頑張ってる」
「自分のいい経験になる」
なんて考えは卒業してしまったようです。
僕がこれから求め続けるのは、高いパフォーマンスを維持できる「安定感」です。

最近、『』という映画を観ました。
小栗旬君と長沢まさみが主演の日本映画ですが、
原作の漫画が大好きだったので観たところ、
まあ実写化に有りがちな断片継ぎ接ぎ映画でした。
それが良いか悪いかはわかりませんが、
山岳救助隊が人命と向き合うための「安定感」の重要性はよく描かれていました。
プロは充実感という気持ちの上に立って、感情をクッと飲み込んで、
向き合うものが求めてくる、要求に高いパフォーマンスを返す。
その為に、人が亡くなろうが、傷つこうが、
良く寝て、良く食べる。
自分の大きな人間観を支えるために、安定感を求める。
この映画を見てこんなことを感じたのは、
僕に内側に「安定感」という釣り餌を好む魚がウヨウヨしていたからでしょう。



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これからの僕



25歳の時からなぜか27歳はいい年になる、
気が向いてくるだろうという予感がありました。
26歳に対しては何も感じなかったのに、
27歳は何故か確信に近い希望が持てたのです。
僕は自分の感覚の「何となく」を信じたり、分析したりするのが好きなのです。
その27歳も残り半年になりましたが、未だ気が向いてきていると感じています。
今までの半年間が良かったのかどうかは、後々わかってくるのだと思います。
これから目に見える良い出来事が起こるのか、
後々価値の出始めるようなことを経験するのか、
それを楽しみに残りの半年も過ごします。
これは運任せのように聞こえるかもしれませんが、
僕の感覚ではそれは少し違うのです。
「気が向く」というのは、
この世界に満ちている気を上手に自分の意志と同じ方向に向けることが出来るということです。
そのためには、あらゆる気に対して丁寧に接しなければならない。
それができる資質が、今身に付きつつあると感じています。
いや、そのくらい自分が見えてきているということかもしれません。
僕の周りの気と僕の気を同じ方向に向ける、
そうすればきっと、
僕にとってとても価値のあることと出会うのだと信じたいのです。



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ピエロの筆HP「column」から引用)



2013年2月、僕が学んでいる京都造形芸術大学での最後の授業があった。
たった3日間の授業だったけれど、卒業制作の絵を仕上げるという大きな役割を担っていた。
学生は皆、この最後の3日間で絵を仕上げるつもりなどなく、
授業の日が来るまで必死になってあのでっかい100号キャンバスと向き合ってきているようだった。
もちろん僕もその一人だけれど、
授業の3日間で作品の精度を上げるためにとことんやってやろうと意気込んで京都に乗り込んだ。

授業が始まり、自分でも驚くほど慣れた手つきで制作の準備にかかり、筆を入れ始めた。
数か月間付き合ってきた絵だから、細部に至るまでどこがどうなっているかは把握している。
まだ足りない部分、仕上げていい部分、それがはっきり分かっていた。
だからこそ、細部の細部まできっちり仕上げてやろうと、周りには目もくれず画面と向き合った。
周りで沢山の学生が同じように制作に取り組むものの、僕の集中力は素直に画面に注がれた。
制作の中でもスポーツの試合のようにその日の調子というものがあるが、
その日は間違いなく調子のいい日だった。

そのように気持ちよく充実感をもって最後の授業に臨んでいると、
この4回生の1年間、ずっと僕の担当をしてくれていたY先生がやってきた。
このY先生が担当じゃなかったら、僕の絵や表現における幅は今に至らなかったと思う。
信頼のおける先生だ。
そんなY先生に一か月ぶりに絵を見せて、何を言われるのだろうと少し気を張る僕に、
先生は京都なまりの柔らかい口調でこう言った。

「渡辺、満足いったか?」

「ん~いや、もうちょっと…」

「もう描いたらあかんで。」

「…えっ!?」

予想だにしない言葉を投げかけたY先生の顔を見て、僕はボーッと立ち尽くした。
先生は僕の表情とは対称的に少しだけニヤッとした後、真剣な面持ちでこう続けた。

「もう余計なことしたらあかん。ここまで積み重ねてきた微妙な色調を、ここで壊したらしゃーないやろ。」

「はあ…」

描画禁止令を出された僕は、はっきり言って完全に消化不良だった。
描く意欲満々だった僕の気持ちは完全に行き場を失った。
先生の言葉に戸惑い、企画された飲み会もキャンセルし、夜学校が閉まる20時までずっと自分の絵を眺めていた。

翌日も禁止令を出された僕は、気持ちが落ち着かないまま、やることもなく時間を持て余した。
コーヒーを飲み、煙草を吸い、自分の絵を何度も眺め、先生に言われたことの真意を考えていた。
僕の気持ちは、禁止令を出されながらも片づけられない画材たちによく表れていた。
僕の顔を見るたびに先生はニヤッとして、

「描いたらあかんで」

と言った。
最近煙草の量が極端に減った僕が、いつも以上の煙草を手にとった。
喫煙所でボーっとして時間を持て余すしかなかったからだ。
造形大は瓜生山という山の地形を生かして建てられているから、
学校のどこからでも京都の盆地を見渡せるいいロケーションにある。
もちろん、僕が足しげく通う喫煙所もそうだった。
煙草を吸いながら、京都の街や遠くの山並み、空、学校に茂る木々を見るのが好きだった。
あまりの心地よさが、禁止令からもたらされたモヤモヤを徐々に和らげ、解消しかけたその時、
ある言葉が僕に降ってきた。

「複雑」

そう、喫煙所でボーっと煙草を吸う僕の目に映るすべてのものが複雑に見え、
それでいて美しかった。
僕たちは同じ太陽の下で多くのものを見ている。
太陽に照らされるとそれぞれが固有色を存分に発揮し、その照り返しが響きあってとても複雑な調和が生まれている。
僕たちはその複雑でとても美しく調和した光に包まれて生きている。



絵の具を混色すればするほど、色が響きあい、
そこから生まれた予測不能な偶然からのみ生まれる調和だけが真実だった。
おそらく僕たちは真実から逃れることはできない。
その複雑さから目をそらし、記号化されたものだけを受け入れることは、
とても矛盾した乏しい生き方だと感てしまった。


どうやら僕たちは、物事が複雑であればあるほど美しいと感じるらしい。
記号化され、コントラストのつよいものは分かりやすく、
理解する側に何の負担もかけないから、親しみやすく受け入れやすい。
それは「好き」や「面白い」という部分では力を発揮するけれど、「感動」や「美しさ」まではとても到達しない。
以前に「100」というコラムで書いたように、
「感動」は捉えきれない大きなエネルギーだと思う。
そしてそれは、価値観を揺さぶるものなんだ。

感動や美しさに対して僕たちが出来るのは、
分析や探求に過ぎず、理解することはもちろんのこと、捉えきれるような小さなものではない。
僕たちのセンサーでは全てを感知しきれないほど複雑で、大きいものなんだ。



そう思うと、Y先生の描画禁止令がストンッと腑に落ちた。
僕が最後に仕上げでやろうとしていたことは、絵の精度を上げ、質を高めるためのものではなく、
僕自身の気持ちの補充に過ぎなかった。
「これでいいのかな?」
という自分の不安を慰めるためのものだった。
そう、絵は十分に完成していたんだ。
学校に来て禁止令が出されるまでに描いた部分が、何の効果も発揮されていない。
そのことに気付いた時、
自分の愚かさに笑った。
僕はまだまだ未熟で、未完成で、取るに足らない。
それを実感したけれど、僕が今見ているものは絶望ではなく、希望でしかない。
今は手に取るものが全てキラキラ輝いて見える。


絵は本当に僕を大きくしてくれました。
僕にとってはやはり、一番尊い表現活動です。
いや、それは僕にとってだけの事ではないでしょう。
顔料が施された一枚の木の板、布っきれに何十億円という価値が付けれられるのだから。
他に類を見ない、価値観の投影だと思います。
そう、絵は価値観を表現し、見るものによって価値観を投影され、価値観をつくります。
尊ぶべき表現活動なのです。
この4年間、その表現に身を捧げました。
得るものはあまりにも多く、まだまだそれを捉えきれません。
絵は世界と共鳴しながら存在します。
絵を描くことは世界を捉えるということなのです。
絵を描くものに求められるのは、
世界の約束事を抽出するちから。
僕はこれからも、絵と世界に多くのことを学んでいきます。
ここからが本当のスタートなのでしょう。






2月前半は学校が終わったこともあり、張り切って書いちゃいました。
この2月中に色々な計画を立てて、
春からの活動に備えたいと思います。
これまで、勉強してきたせいか少し神経質な記事が続いたので、
もう少しラフな投稿もしていけたらと思います。
それではまた2月後半に。
ではでは
by keita-net6086 | 2013-02-19 13:05

2013年2月6日(1月後半)

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更新が遅くなってしまいました。
書きたいことが沢山あるはずなんですが、
今僕が持っている時間のすべてを、
絵を描くためだけに使いたいので、
これだけしかできません。

あと少しです。
終わったらちゃんと書きます。
ではでは
by keita-net6086 | 2013-02-06 17:55

2012年12月22日(12月前半)

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寒さが落ち着きをみせているこの頃、
まるで本格的な冬への準備期間を用意してくれているかのようです。
本当に厳しい寒さを迎える前のこの時期、
僕は今の目の前のことよりも、先を見据えることに重きをおいている気がします。
それはおそらく、卒業制作の100号が全過程の半分を迎えようとしているからでしょう。
しかし、精神的にはとても安定しているので、
今は着々とやるべきことをやるだけです。
更新が1週間遅れてしまいましたが、12月前半の更新です。



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卒業制作



ここからどこまでいけるのかが勝負なのです。
僕は作品を完成させるということに、
一種の恐怖に近い感覚を覚えます。
可能性が無限にあるものに、終止符を打つからです。
自分がどこで終止符を打つのか。
それが時間的制約のための終止符なのか、
納得した上での、
絵との合意の上での終止符なのか、
こわいのです。
絵は、絵になろうとするのです。
僕はその要求に従うのみで、いよいよ絵の要求が強くなってきました。
僕はその奴隷と化しています。
「その色じゃない。」
「その角度じゃない。」
僕の意志はそこにありません。
いよいよここからです。
僕の意志や外部の制約の上で、その要求を拒むことだけは避けたい。
ちゃんと絵に、

「ありがとう」

と言ってもらえるように。



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コミュニケーション



「コミュニケーション」というと、一般的に人付き合いに特化して認識される。
僕は最近、この言葉を人とのコミュニケーションのみを強調する言葉として使うことに疑問を感じている。
言葉の意味を探ろうというのではない。
コミュニケーションの正しい方法を考察しようというのでもない。
ただ、「全てがコミュニケーション」なのかなと、
最近考えるようになっただけ。
どんな仕事も、どんな行動も、どんな感情も、
全てがコミュニケーション。
例えば、仕事での技術、知識、やるべきこと。
それらは「仕事だから」とか「お金をもらっているから」とかではなく、
自分が「どうありたいか」という価値基準をもとに行われる、
最善のコミュニケーションの仕方なんだ。
全てのものに、柔軟に耳を傾けて、
全てのものと、丁寧に接し、
全てのものから、柔軟性を得る。
これがコミュニケーション。

しかし、「あらゆるものを許し、受け入れなければならない。」というわけでもない。
姿勢が大事で、
勉強することが大事で、
その姿勢を持って、
本当に大事な真ん中を掴もうとすることが大切。
大切なことは、そんなに難しいことではなくて、
意外とシンプルなこと。
けれど、僕たちは小さい頃から誰かの価値観で生かされているので、
なかなかシンプルにはなれるものではない。
シンプルになるには、訓練が必要だ。
学校を卒業したら、
シンプルに戻るための訓練をしなければならない。
その方法として、全てのものとのコミュニケーションがある。

僕は、この構図を変えたい。
小さい頃から、シンプルを掴む練習を促したい。
今の学校は、社会の価値観を植え付ける場にしてはいけない。
文部科学省の言う「生きる力」は、シンプルさを求めているから。
まずは教師がシンプルさを目指し、
できるだけ近づき、
子どもたちに、コミュニケーションへと導く。

僕は教師になったら、
それを訴えようと思う。



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大陸的価値観と島的価値観



今の僕にとって最も怖いことは、前述した卒業制作の絵だ。
それ以外に怖いことは、あまりない。
お金がないことも、仕事も、何も怖くない。
僕は自尊心を保つために、その場に注げる力は注ぎ、できる限り丁寧にやるけれど、
その姿勢を否定されたり、僕が協力・応援・手助けできないと思ったら、
潔くその場を離れるだろう。
そして、そんなの全然怖くない。
何度も言うが、僕が怖いのは、今はあのでっかい100号キャンパスだけだ。
昔本で読んだことを思い出した。
僕のこういう価値観を、「大陸的」というらしい。
そう表現されることに、
妙に納得してしまう。
島国では、「変わってるね」と言われ続ける。
変人の集まりである、美大においても。笑





12月前半はこの辺で。
次回は一週間後、または年明け新年一発目に更新しますが、
この一年を総括なんてできないでしょうから、
まあいつも通り、その時思ったこと、感じたことを書き綴ります。
一応、2012年は振り返ってみるつもりです。
それでは次号。
ではでは
by keita-net6086 | 2012-12-22 12:39

2012年7月14日(7月前半)

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暑さも増す7月ですね。
アイスコーヒーがおいしい季節になってきました。
いよいよ本格的に切羽詰ってくる7月後半に突入するというとき。
僕は比較的落ち着いてこの時期を迎えています。
おそらくここから8月いっぱいは学校とイベントの怒涛の日々を迎えるため、
あっという間に過ぎ去っていくことでしょう。
精神的に負われることなく、前のめりに。
しなやかに、やわらかく。
自信を持ってこの夏を乗り切っていこうと思います。
7月前半の更新です。





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ひかり祭り




いよいよあと半月と迫ってきているひかり祭り
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ピエロの筆は全力で制作に取り組んでいます。
夏真っ盛りの野外フェス。
皆さん、是非遊びに来てください。





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メイキング





僕はメイキング映像を見るのが好きだ。
作り手の表情を見るのが何とも刺激的で、作品はもとより作り手の人生観を覗くことができるからだ。
最近、自分の絵画制作中にジブリのメイキングをよく流している。
コクリコ坂のメイキングである「ふたり」と「もののけ姫はこうして生まれた」である。
これらを制作中に流していると、一緒に作っている感覚を覚え、何だか励まされる。
とてもいい制作時間を過ごす手段となっている。

しかし、宮崎駿はストイックだ。
こんなジジイ達が死に物狂いで世の中を生かそうと表現活動に取り組んでいて、
髪の毛が真っ白になっても自分を追い込んでいるのに、
20代の僕たちが快楽だけを求めて街の中を徘徊していてはダメだろう。
立ち上がろう。
そう思う。
そう思わせてくれる作品だ。






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貧乏になったって




いいや。
今は貧乏でいい。
買っても買っても画材が必要。
画材はどれも高いけれど、
今はそんなこと言ってられない。
貧乏だからできることを必死でやろう。
考えよう。
その方が、たぶん後々の人生楽しい気がするから。





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面白すぎてはいけない




ひかり祭りを前にして、絵の制作に勤しむ日が続いている。
なかなかピエロの制作に携われないことにもどかしさを感じている。
それに加えて、ひかり祭り直前は京都の学校に行かなければならない始末。
なんてこった。
そんな感情を抑えつつ、僕は絵の制作に集中しなければならない。
これまで既に、驚異的なスピードで数枚の絵を仕上げている。
沢山絵を描く。
学校の課題として描かなければならないものを中心に、個人的なものも含め、
ぼくはこれまであらゆるモチーフを描いてきた。
幼いころから振り返れば、落書きから漫画の写し、一端の作家ぶった作品まで、
本当に数多く筆を動かしてきただろう。
美術館にもよく足を運び、多くの作品を観たし、数多くの画集にも目を通した。
つまり、見ること・描くことを繰り返す、いわゆる絵画体験を数多くこなしてきたというわけだ。
そんな数多くの絵画体験が、最近になって僕にもたらした1つのヒントがある。
それは抽象的な感覚である「良い」作品をつくるうえでの重要なヒント。

面白すぎてはいけない。

ということだ。
これは絵の画面、つまり描かれる内容の話。
面白さを追求しすぎると、絵の内容が観念的になってしまう傾向がある。
要するに、頭を使いすぎているということ。
頭の中で絵を完成させすぎてしまって、それは、そのモチーフが持っている美を軽視してしまいがちになる。
完成図、自分の勝手な目的にに向かって、周りに目もくれず画面に突進する。
これではなかなか「良い」作品にはならない。
「良い」なんて本当に抽象的なものは、実はもっともっと地味なところにあって、
そこを汲んでいない作品は、独り善がりでしかない。
大事なのは、「上手さ」でも「面白さ」でもなく、

多くの人が共感しうる「地味さ」なんだ。

多くの人は玄関を出るときに、自分の地味な部分、影を家に置いていく。
それは悪いことではなく、家で精一杯地味なことをことをしているから、
玄関をでて人に笑顔をみせられる。
光と影、明るい部分と暗い部分は表裏一体で、
人はそうやって、暗い部分のおかげで明るい部分を際立たせることができるんだ。
太陽が明るく照っているだけの絵は、もう皆知っているんだ。
太陽を描くなら、夜や月の存在をしっかりと包括して描かなくては「良く」ならない。
共感ができないんだ。
上手いだけでも、面白いだけでもダメ。
地味な部分。
暗い部分をちゃんと表現しないと。
そうやって僕たちは生きているんだから。






これから、増々忙しさを増していきます。
しかし、それは楽しい毎日でもあります。
「今」「ここ」。
それではまた7月後半に。
ではでは
by keita-net6086 | 2012-07-14 12:56

2012年2月2日(1月後半)

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ピエロの筆


さて、そろそろ出発の準備でも始めますか。
ピエロの筆、再会まであと24日。



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自由へ



何でもある程度できるようになりたい。
そうすれば多くのものに共通するきっと重要な何かを、もっと理解できるだろうから。
全部に柔軟に。
本当の意味での自由とはそういうことじゃないのかと思う。




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僕のごはん



昨夜、友達に「米食わなそうだよね。」と言われた。
いや、米で育ってきたつもりだし大好きなんだが確かに最近8割麺類かパンだ。
僕のごはんはいつもこんな感じです。

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家にいるときは大体ペペロンチーノを食べています。
簡単だし、うまいし、飽きない。
これはニンニク、アンチョビ、鷹の爪をオリーブオイルで香りをだし、
ツナと白菜と玉ねぎを加えたやつ。
とってもオシャレですね。
アンチョビですよ、アンチョビ。
カタカナ出しときゃオシャレになります。
胃の中からオシャレになった気がします。


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そして最近はまっているのが「KIRIN FREE」です。
やっぱ酒飲みたくなるけど、家では大体課題をやってるから昼間は飲めない。
そんな時にはこいつがそんな欲求をごまかしてくれます。
僕は本当はただの炭酸水が好きなんだけど、最近はこいつばっかりだ。
「麒麟 自由」
中国語ではこう書くのでしょうか?
僕は第二外国語、中国語でしたが中国語に触れた記憶はありません。

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そして、コーヒー。
僕のマストアイテムです。
絶対に切らしません。
KALDI通いまくってます。
安いから。
写真のエルサルバトルはなかなかです。
色がとってもエルサルバトルですね。
この色はエルサルバトルにしかでません。
僕にはわかりませんが。


僕のある日の一食事でした。
くそくらえ!



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写真



最近、バイト先の料理を撮影している。
場所とか時間とか、結構カメラマン泣かせの条件だけど、
いやはや勉強になる。
これは云わば僕の作品のような他者の作品。
僕だけじゃダメ。
挑戦はやはりいろいろ僕に教えてくれます。
楽しいですね。

とりあえず、時給をもっとあげてください。



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先の記事で描きはじめを公開した絵。
いよいよ大詰めです。
こっからどこまで行けるかが勝負です。
あと三日間、描き続けます。
よし、あと一息!



集中力



集中力って本当に長い時間は続かない。
絵を描いているとき、細部に目が届かなくなったり、筆のタッチが雑になってきたら潔くやめるのがいい。
タバコでも吸って、また描きたい衝動が起こるのを待つ。
授業に応用できるな、これは。
はい、それだけです。




それではまた。
2月中旬に。
by keita-net6086 | 2012-02-02 13:11

2012年1月16日(1月前半)

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朝7時に起き、一日の計画を立てるとともにブログを更新しています。
これから昼、夜ともにバイトです。
最近は気持ちのバランスもとれていて、そのおかげで全てを前向きに考えることができています。
冬だ冬だと言っていますが、後一か月もすれば春ですね。
体調管理とエアコンのつけっぱなしには気をつけたいと思います。
さて、1月前半の更新です。



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1月5日、am6:00



平日の朝6時、通勤の人々で賑わう電車に乗った。
ニット帽にリュック、ハーフパンツにトレッキングブーツ。
平日の早朝にこんな格好で電車に乗るのは僕1人くらいだ。
これから「社会」の中に飛び込んでいく、一様な服装の人たちに囲まれたハーフパンツの僕は、改めて「社会」のドブネズミのような存在なのだと感じた。
「社会」は「こうしなきゃ、こうでなきゃいけない」という意識を社会人に求め、社会人はそれに応えることに価値を見いだす。

1月5日の朝、電車の中で見た立派な社会人たちを鏡に、僕は驚くほど冷めた気持ちで自分を見た。

社会に飛び込む鋭気を養う者、異様な姿の僕を不思議そうに見る者、これから奪われる何時間もの自分の時間を少しでも取り返そうと携帯をいじる者。

皆社会に向かう人たちだ。

僕は山へ向かっている。
絵の取材のためだ。
もちろん収入に繋がるものではなく、学校の作品作りのための取材だ。

26年も生きていて、未だに収入に繋がらないことに心血をそそいでいる。



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御岳山



絵の取材にどこに行こうかと迷ったが、山を選んだ。
重要な作品を作るとき、僕は頭で考えることにストップをかける。
頭の中では自分の範疇を超えないから。
絵を描く時と同様に自分を壊す。
自分を超えたとき、僕はその作品に対して初めて謙虚に挑戦することができる。
山に来ると多くのインスピレーションを得られるのは、自然は僕らが思っている以上に何でもありだからだろう。
ちっちゃい僕の中の「自分」なんか簡単に壊してくれる。
僕たちは社会っていう漠然とした規範、決まり事の中で生きているから、それは余計に。
今回も沢山のヒントを与えてくれた御岳山に感謝、感謝。

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山で飲むコーヒーとタバコは格別。
これ、間違いない。




・・・




やっぱりまだ26歳何だって思う。
これは前向きな意味で。
絵を描いているとどんどん絵のことがわかってきて、それと同時にまだまだ先があることを知るから。


僕たちはおそらく、急な不幸がなければ70歳位までは元気に生きていけるんじゃないかと思う。
そう考えるとあと50年もあるんだ。
50年もつくれる。
何だか22歳くらいになったら定職について無難な人生を歩まなきゃいけないような風潮があるが、それが若い人たちに圧力をかけて老けさせているように思う。
「どうせできない」とか「自分なんか」とかそういう意識を社会のイデオロギーが若い人たちに植え付ける。
「成長」においては、重要なのは結果ではなく過程なのに。

やってもいないくせに吐かれる後ろ向きな言葉は、僕を全然わくわくさせてくれない。
決めつけ、妥協、あきらめ。

何にだって、年相応の輝かせ方はあるはずなのに。
僕はまだ半分も生きていない。
何故、今「安定」しなきゃいけないんだ。
はっきりとした目標と意識、健康な体。
これだけで十分だ。
後は何が起こるかわからない新しい一日を生きるだけ。
金なんて何とでもなるだろう。







制作途中を公開するのはあまり好きじゃないが、今回は何となく公開しようと思った。
描き始めと1/5くらいまで進行したところ。

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では、1月後半にまた。
by keita-net6086 | 2012-01-16 09:39

屋久島

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by keita-net6086 | 2008-02-08 22:37

アクリル絵の具は僕の可能性を飛躍的に高めてくれた



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by keita-net6086 | 2008-01-20 00:27

外で絵を描いたんだ

玄関の外にイーゼルを立て
今日の晴れ空の下絵を描いた
清々しく気持ちいい気候のように
ボクの筆も気持ちよく動いた
気持ちよすぎて指まで使った
楽しすぎた

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by keita-net6086 | 2007-10-20 17:37

人間が神様からもらったもの

「感情と表情の反作用」
という作品を以前美術部で展示しました

苦しいから苦しい顔をする
嬉しいから嬉しい顔をする
悲しいから悲しい顔をする
楽しいから楽しい顔をする

そういう単純な部分も人間のもつ素敵な表情に表れると思う
だけどね
感情を必死になって押し込めた複雑さの作る表情もある

表情って文字通り表面に出てくるものであって
内面からストレートに表情に表れているかは本人にしかわからない
湧き出た感情を表情に出すかどうかは本人だけの秘密
もちろん他人にも伝わる純粋な表情もあるわけだけど
そういった部分も含めて
多彩で複雑でおもしろい

わかりやすいようでわかりにくい
ミステリアスでファンタスティック 笑

言葉でも、手先の器用さでもない
人間が特別に神様から授かったものは
表情じゃないかな

表情と感情の反作用
それが作り出す無限のものを
ボクは捉え続けていきたい

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by keita-net6086 | 2007-07-27 23:04