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2013年12月10日(11月後半)

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寒さが日に日に増していって、
秋らしい表情を見せていた色鮮やかな植物たちも、いよいよ冬を耐えうる準備を整えたかのように、
静かな凛とした表情をしています。
そんな中、僕は乾燥注意報が出されたその日にまんまと体調を崩し、
それでも体を休めることが出来ない毎日を、騙しだまし過ごしています。
時間に対する感覚が、
以前よりもずっと「事実」として感じられるようになってきて、
寝る時間も、働く時間も、それ自体がそれぞれ独立した時間としてあるのではなく、
全てちゃんと僕の生きている時間として、流れていることを感じるのです。
何が起こっても、
どんな思いをしても、
それはちゃんと僕の生きている時間の上で起こっていて、
誰のせいにするわけでもなく、ただただ事実として全ての時間を受け入れられる感覚を持つのです。



縄文杉



昔はもっと、人のせいにすることで自分を守っていたから、
ある意味楽だったと思うのだけれど、それで精神的に満たされることが無かったから、
何となく毎日がつらかった。
楽な方を選択すればするほど、精神は追い込まれていくという矛盾の中に身を置いていた。
結局は自分で責任を取ることが、大変なようで一番自分の精神を支えてくれたのです。
責任を取るとは、自分の費やす時間を全て自分の時間として認めること。
「会社が何時に来いって言ったから」でも、「誰々がこう言ったから」でもなく、
自分の時間は全部自分の時間として無駄にしない。
何をしていても、自分の生きている時間として価値をもたせる。
それが責任を取るということであり、
その上であれば、全てが自分の人生の時間の上に起こる「事実」になる。
虚栄、虚無に食われることなく、
実質的なものを肌に触れて理解する。
そうすれば、矛盾に苛まれることもない。
自分の行動と精神が一致して、互いにバランスを取りながら進んでいける。

どうしたって、
自分の生きる時間は人のせいにはできないのだから、
そんなものはできるだけ早く捨ててしまった方が良いのです。
もっともっと若いうちに、僕も捨てることが出来ていたら、
今とは少し違う人生を送ったのかもしれないけれど、
この思いは後悔ではなくて、教師になる自分への教訓なのです。
僕が今まで過ごしてきたかけがえのない時間をリセットしたいなんて1ミリも思いません。
ただ、教壇に立つときには心がけようと。
向き合う子どもたちには、学校に来る時間も塾に行く時間も、
全部自分の時間として、無駄にさせない。


人のせいにしない。


出来るだけ早くそのステージへと導いていこうと思うのです。
たぶんそのことに、年齢は関係ないから。
幾つになっても、人のせいにして止まない人を目にするし、
幾つになっても、責任を放棄してばかりの人を目にします。
だから、年齢は関係ない。

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僕は、屋久島の縄文杉を見に、ヒッチハイクで鹿児島まで行った時、
その重要なヒントを得たように思うのです。
ヒッチハイクなんかしていると、それはもうすべての事が自己責任。
前に進めないのも自分のせい。
車を止められないのも自分のせいなのです。
時間と、自分の行動と、結果が事実としてリアルに直結し、
その実質から逃れられない。
その状況に身を置いていると、自分の立ち位置がありありと理解できるのです。

「あのドライバーさんは俺の事どう思っているのかな。」
「あのおばさん、凄く嫌な目で俺のこと見ていたな。」
「もう少し、清潔感ある恰好をしよう。」
「とにかく笑顔は忘れないようにしよう。」

自分1人では何もできない、自分の頭の中だけでもうまくいかない。
ちゃんと、同じ時間を生きる人たちや「事実」と一緒に生きていくことを覚悟しないと何もうまくいかない。
そんなことをヒッチハイクの旅では感じることができたのです。

あれからもう8年近く経つけれど、
あの時、あの年齢で、許される限りの幅のある行動を決断して良かったと、
自分良くやったと素直に思える自分がいます。
それぐらい価値のある時間でした。


今は恐ろしいくらい、自分の時間が自分のもので、
自分の吸う空気にも価値を見いだせるほど、実質的なものと寄り添っています。
特に大きな理由もなく飛び出して、息をきらしてやっとたどり着いた縄文杉を見たあの一瞬。
僕の人生の中のあの一瞬。

「今、この瞬間が一番重要なんだ。今、この瞬間ここから変わろう。」

そう思った掛け替えのない経験でした。




だらだらと書き綴ってしまってまとまりのない内容ですが、
まあいっかってことで11月後半はこの辺りで。
今、追われている仕事を年内には片づけて、
年明けにはこの場所とももっと落ち着いて向き合えたらなと思います。
それではまた一週間後に。

ではでは。
by keita-net6086 | 2013-12-10 12:04

2013年10月12日(9月後半)


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言い訳するまでもなく、9月後半の更新を10月の中旬にさしかかって更新する始末です。
この言い訳は後程することにして、季節は本格的に秋を迎えようとしていますね。
夏の青々とした葉の色は表面に薄く黄色を纏うように、
艶やかな表情を見せ始めています。
秋は女性の季節と言わんばかりの、
しっとりとしていて、慈愛のある、
夏よりも内側からの温かみを感じる季節ですね。
昔よりもすべての季節に寛容になって、
あらゆる変化をもっと繊細に自分の中に吸収することが出来るなら、
たぶん自然とそれは表現の方にも還元されて、
豊かな影響力を持てるようになるのかなと思います。
気持ちも、外に出すより内側で温めることが多くなるこの季節、
月をだいぶ跨ぎましたが、9月後半の更新です。



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ダメな時間



先に述べたように、更新がこれだけ遅れた理由を言い訳をさせてもらうと、
職場が変わるにあたって1週間ほどの休みを過ごしていました。
この有り余る時間に僕がやろうと決めていたのは、徹底的にダメな時間を過ごすこと。
否が応でも考え、実行し続けなければならない時間をこれから過ごすことになるので、
その日々が始まる前に徹底的に力を抜こうと決めたのです。
仕事のことも、ブログのことも何も考えず、
子どものような時間を過ごす。
それがしたかったのです。

フリーランスとして働いていて、自由というものがそれなりに大変であることを認識すると、
如何にして自分のペース造りを確立するのかが重要になってきました。
自分のお尻を自分で叩かなければいけない状態が毎日続くのです。
そうやって「時間」というものに対して繊細な意識を配っていると、
僕が持っている時間には、本当に色々な時間があることを認識しました。
その中でも「ダメな時間」は底辺に合って、
底辺にあるからと言って、避難されるべき時間ではなくて、
他人や、それ以前に社会性を持った自分の意識が

「何やってんの?」

という感情を抱くような、理解され難い時間であるというだけです。
「ダメな時間」は社会に理解はされ難くも、実は僕の持つ様々な時間の中で底辺を支える大切な時間なのです。
中々大切にしてあげられないから、僕はこのまとまった休みの間に「ダメな時間」を大切にしようと決めたのです。
子どものように、赴くままに、考える前に動き出すような、
突拍子もない時間。
「気持ちいい」ことを優先し、
純度の高い自分の気持ちを確かめる。

そういう時間に9月末から10月頭を当てることが出来ました。
今回は難しい事なしです。

ダメな時間に日光に行ってきました。
旧友とサッカーをしたり、海に行ったり、飲んだり、釣りをしたりしました。
良い時間を過ごせました。
さあ、ここから再スタート。

うしっっ!!

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by keita-net6086 | 2013-10-12 15:06

2013年9月3日(8月後半)

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暑い日が続きますが、夏が終わりを迎えるように日の入りの時間も随分と早くなりました。
夕方には涼しい風が日に焼けた肌をよく冷まします。
8月は、個人的に活発に動く時期だと考えていたのですが、
振り返ってみると、動きは静かによく頭を動かした時間だったように思います。
調理師試験とその勉強があったのが影響しているのでしょうが、
僕はもっともっと多くの事を知らなければならないし、
もっともっと多くの事を経験しなければならないのだと再確認した時間でもありました。
僕がフリーランスとして働く決断をしたのも元々はそのためのもので、
制限あるこの時間を精一杯大切にしなければ、
自分の決断に対して、自分と関わる多くの人に対して申し訳が立たないのです。
フリーランスとして過ごした3ヵ月。
この短い期間の間にも様々な学びがあって、
充実した結果を得ることもあれば、
納得出来ない気持ちをごまかす自分の弱さを感じることもありました。
だけど、良いも悪いもすべて先へと繋げなければ、
自分の価値のある行動に乗っかっていきませんから、
下を向くことなく、柔軟にすべてを受け入れる強さが必要なのです。
色々な意味で良い時間を過ごせたのではないでしょうか。
既に始めっている9月に、良い波を立たせたい。
その為には、やはり丁寧に毎日を過ごすことしかないでしょう。
仲間とキャンプに行ったので、月を跨ぎましたが8月後半の更新です。



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始まりが大切



良く寝て、良く食べて、良く考えて、良く働いて…
それだけが、良く生きることと言える気がしています。
僕は誠心誠意1枚の絵を描くと決めたとき、全身全霊で信じられるものを描きたいと思ったのです。
僕にとってのそれは、木だったり、水だったり、火だったりするわけですが、
それらは世界の「理」そのもので、嘘が無いということに絶対的な信頼感を置くことができたのです。

ある時実家でテレビを見ていたら、睡眠障害解消方法を紹介する番組が放送されていて、
その番組内では睡眠のメカニズムも丁寧にわかりやすく説明されていました。
睡眠のメカニズムは、要は睡眠ホルモンと言われるメラトニンの分泌に大きく左右されていて、
そのメラトニンを如何にうまく分泌させるのかが重要だということでした。
そして、そのメラトニンの分泌において重要なことは、まず一日の始め、それも朝の早い段階での朝日をしっかりと浴びるということだったのです。
朝日を浴びてメラトニンの分泌をスタートさせると、14~16時間後には蓄積されたメラトニンによって睡眠に入るようなのです。
つまり、一日の終わりは始まり方で大きく左右されるということです。

また、別の話をすると、
これは調理師試験の勉強中に妙に関心が沸いた部分の話なのですが、皆さんは「初乳」というものをご存知でしょうか?
初乳とは、要はお母さんの母乳のことなのですが、母乳の中でも最初の最初、生後数日間の間だけ分泌される母乳のことを言うのです。
この初乳は新生児にとって人生の一番最初に口にする記念すべき栄養であって、
それはその後に分泌される通常の母乳よりも圧倒的に栄養価が高く、様々な免疫的効果を新生児に与えるものだと言います。

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何故、わざわざこんな話を引っ張り出すのかというと、
「始まりが大切」という前に、
たぶん「人はそれぞれ」という当たり前の価値観の主張に、
いい加減うんざりしてきている自分がいるからなのです。
色々なものに触れ、より深く勉強しなければならないことに少しずつ気が付くと、
「人はそれぞれ」という主張ではなくて、生き物としての共通点とか、
感覚的な共通分母の部分をもっともっとこ大切にしていかなければならないのだと強く思うようになってきたのです。
たぶん、「人は~」って主張したがるのは、社会や大人に対する反発心だけが先行した結果でしかないのだと思う。
少なくとも、これまでの僕はそうでした。
今は、大切なことは「共有できる」ことだと思っています。
「共有できる」ということは、前衛的で、刺激的で、
思わず圧倒されてしまうような動的な力強さではなく、
生物的な慈愛があって、寛容で、感覚的である静的な力強さだと思うのです。

僕たちは生き物としてのリズムと上手に付き合って、良く生きることが「幸せ」ということなのではないでしょうか。
精神を鍛えるとか、自立するとか、
そうやって人間社会に対しての適応力を増すばかりでなく、
生きることに関心を持ち、生き物としての自分を理解することがもっともっと必要なのだと思います。

だから、「始まりが大切」なのです。
先に述べた2つの生き物としての話が、僕たちの良く生きる方法を示しているように思います。

始まりを大切に。
そして、それと繋がる今を大切に。

「 Make it count 」

映画「タイタニック」でジャックの言うこの台詞が、僕は大好きです。



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今はとにかく感謝を



僕が「考える」ことの糧は、感情を揺さぶられることです
これが一番の糧であることは間違いありません。
身体感覚と言語感覚の間にズレが生じれば生じる程、
それをすり合わせるように僕の脳は動きます。
おそらく、感情というものは理屈で捉えられるようなものではなくて、
突然自分の中に放り込まれるウイルスのような存在で、
それに対する免疫があったり、なかったり、
どちらにしろその感情が発端となって身体感覚と言語感覚の間にズレが生じる。
この修正作業が僕の「考える」というものなのだと思う。

今はどんな感情が投げ込まれ、どんなに僕の内側が荒波を立てようと、
「考える」きっかけとなるそのことに、感謝はするべきかと思っています。

僕は今、自分はそういう時期にいると考えているのです。



8月後半はこの辺りで。
28歳を迎え、だんだんと「わからないこと」の重要性を認識しはじめました。
これは良い事なのだと思います。
9月に何が起こるのか。
それを楽しみに、丁寧に過ごします。
それではまた、9月中旬に。
ではでは
by keita-net6086 | 2013-09-03 20:39

2013年8月7日(7月後半)


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8月に入りました。
いよいよ夏らしさを自然に受け入れられるようになって、
暑い日差しを気持ちよくも感じます。
汗をかくことをとても自然なこととして受け入れられると、
自分の、人間の体の持つエネルギーを実感することが出来て、
自分の利己的な都合に体を付き合わせることをとても非合理的なことと感じるようになりました。
そういう気づき一つ一つに感謝する度に、
「やっとわかったかい?」
と誰かに耳元で囁かれるようで、
未だわからないことだらけの自分の小ささを再発見します。
でもその発見は絶望ではなくて、むしろ希望に近いもので、
生きることの気持ちよさとか、充実感とか、
本当に大事な部分に少しずつ近づけて行けているのかなと感じます。


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僕は、28歳になりました。


17歳、23歳、27歳。
この3つの1年を僕は自分のアイデンティティーを確かめる時期だと考えていました。
その一つの考えというか「覚悟」はそのまま僕の人生の上にのり、
自分を世界に溶かすような選択を、この3つの時期にしっかりと行うことが出来たのは確かです。
この先に、アイデンティティーを確かめるだろうことは無いと思っています。
今はもう、
自分がいるようでいないような、
大事なものは僕が持っているのではなくて、
もうすでに周りに沢山あるような、
そういう感覚で生きられるようになりました。
だから、僕のアイデンティティーなど考える必要はもうないのです。
それに固執することは、
生きがいを見つけるような能動的な行為の様に思えますが、
実はそれは全く逆で、自分の可能性を否定するような行為だったのかもしれません。
その証拠に、いままでとても苦しかった。
貧乏だとか、いじめられているだとか、病気だとか、
そういう明確な苦痛ではなくて、
心臓に常に鉛を抱えているような、
画も言えぬ苦しみに苛まれていたのです。

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その苦しみの在りかをずっと探していました。
どこにあるのか全く分からないまま、突き進んできました。
色々なところに行って、
色々なことを考えて、
色々なものに触れて、
色々なことを感じました。
その、これまでの人生で行ってきたすべての行為が、27歳の1年間で総括されました。


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アイデンティティーなど、確かめる必要はなかった。


それが、28歳になった今感じる、とても純度の高い僕の考えです。
ここから僕は、本当にどうなるかわからない世界に身を委ねていくのだと思います。
僕には世界は動かせないのです。
地球は丸くて、太陽は暑くて、命は生き死にを繰り返す。
人間だけが、そのループから外れることは在りえない。
だから、世界は動かすものではなく、しっかりとそれと繋がることが最も大切なことだと思うのです。

今何をするべきかは、
自分の体と心を世界に同調させることで分かるのだと思います。
たぶん大切なことなど、沢山ないのです。

よく見て、
よく考えて、
よく食べて、
よく寝る。

そうすれば、よく生きられるのだと、
シンプルな人生を生きられるのだと、
そう感じられるようになりました。

これからの僕の人生は、地平線の見えない程に広がっています。
やっと、その本物のスタート地点に立ちました。


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28歳、渡辺圭太。
自分の人生が本当に楽しみです。
たぶんそう思えることは、幸せなことなのだと思います。
そのことに気づかせてくれたすべてのものに感謝します。

これからもよろしくお願いします。
by keita-net6086 | 2013-08-07 15:09

2013年7月4日(6月後半)

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夏の訪れを焦らすかのように、
こちらに悶々とさせる天気の日々。
一方、植物たちにとっては喜ばしい天気の毎日で、
畑でもみずみずしい野菜達が、周囲の草花とともに元気に育っています。
そんな中僕は、6月に訪れたえも言えぬ停滞感から抜け出し、
毎日模索の日々を過ごしています。
これから夏の盛りに向けて、
僕も頭と心の準備を整えていかなければなりませんね。
まだまだ、全然まだまだ。
そう感じる日々の連続に、
嬉しさとともに、難しさも痛感しているこの頃。
月を跨ぎましたが、
6月後半の更新です。



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田圃



僕は茨城県の大大大稲作地帯で育ってきました。
ですから、田圃と言えば遊びのフィールド。
ザリガニを追いかけまわしたり、
水路で小魚を釣ったり、
友人と他愛もない時間をすごした愛おしい場所です。
ですから、実家に帰ると必ず一度は田圃に行きます。
ただ車や自転車で走ったり、写真を撮ったりするだけです。
行くだけでいい、
僕にとって田圃はそんな場所です。

すどう農園さんでお世話になるようになってから、
様々な新しい経験をさせて頂いていますが、
馴染みある田圃での仕事も僕にとっては新鮮な経験でした。
田圃で散々遊んではいたものの、
そこで仕事をしたことはありませんでしたから、
田圃に裸足で足を突っ込んだり、
一本一本苗を植えたり、
草を抜いたり、
カエルやイモリや小魚と触れ合ったり…
親しみのある場所だからこそ、
そこで仕事をするというのがとても新鮮で、
疲れでヘトヘトになりながらもジワジワこみ上げる充実感に、
顔がニヤけずにはいられませんでした。

こんな風に生きていけたらいい。

そういうヒントが少しずつ僕の中に積み重なっていきます。
小さい頃から積み重なってきている経験が、
昔よりずっと豊かになってきた表現方法を上手に利用して、
僕の気持ちや行動に落とし込まれていきます。
ですから、ずっと昔から続いている僕の人生はそのことによって活性化し、
言葉で言い表すことが出来ないような充実感に、
僕を導くのです。
そういうことを得るための表現が出来るようになってきたのだと思います。
たぶん、どんどん柔軟になってきている証拠なのだと思います。

しかし、

その現在地はまだまだであると僕自身痛いほどよくわかっています。
どこに対してまだまだなのか、実はそれははっきりしていないのですが、
僕自身が今の自分を許すことはまだできません。
ですから、まだまだなのです。

最近、経験豊富な大人の方たちと接していただける機会が多いのですが、
その度に僕はまだまだだな~
としみじみ感じるのです。
それは、色々な意味です。
大人の方たちが僕に感心してくれることもあるのですが、
僕の1人の人間としての存在がまだまだなのです。
色々な意味で。

何をクリアすればいいとか、
何かを経験すればいいとか、
そういう問題でもない。

もっともっと、自然に。
例えば川とか海とか、森とか山とかみたいに、
もっともっと、豊かに。
そういう大きい存在になれたらと思います。


流れを止めない。
ある程度身を任せつつ、
その流れに自分の力をのせる。

そうすればきっと、
周囲の人に価値のあることが出来る人間になるのかと、
そう思います。
僕が僕自身に先生になる許可を下されるのは、
もう少し先のようです。







6月後半は以上です。
出来るだけピュアな気持ちを載せたいので、
無理に何かを書く必要もありませんから。
気持ちも新たに、月2回更新のルールと上手に付き合っていこうと思います。
というわけで、これからもよろしくお願いします。
また7月中旬に。
ではでは
by keita-net6086 | 2013-07-04 16:54

2013年5月3日(4月後半)

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緑が増々色濃く、艶を纏ってきて、
植物たちも梅雨を迎える準備を整え、
その先にしっかりと夏を見据えています。
僕自身もこの5月から、少し「生活」に変化がありそうです。
仕事をする体制に増々自由度が増し、
勉強することと、表現すること、堪能することのバランスを、
しっかり自分で取っていかなければなりません。
自分の生活に、ちゃんと自分で責任を取る。
僕にとってこれ以上の充実感はありません。
オンとオフの切り替えをしっかりと意識して、
これから迎える夏を見据えて、
僕も人間的な艶を纏っていけるよう、
楽しく、真剣に、柔軟に生きていこうと思います。
月を跨ぎましたが、4月後半の更新です。



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時間が無くても



時間が無くても、無理してでも、
表現し続けなければ、自分のやっていることが正しいかどうかも判断がつかない。
そう、正しいかどうか、
それは自分で決められることではないから、
ちゃんと丁寧に表現して、
それを受け取った人たちの応えをみて、
その表現がいい循環を生んだのか、その逆だったのか、
それともそんな問題以前の取るに足らないものだったのか。
そこのところを、
しっかり見極めなくてはいけない。
自分が気持ち良ければいいとか、
何とかなるとか、
そうやって奔放に生きていける人はいいけれど、
僕はきっとそれではうまくやっていけなくて。
丁寧にやることが、
僕の性質に合っていて、
それが僕を生かして、
周りもきっとそれを認めてくれる。
最近その成果がはっきりとわかってきて、
時間をかけて積み重ねてきた甲斐があったなと、
少し自分を褒めてあげたくなる時がある。
でも、まだまだ僕なんて取るに足らない存在だから、
もっともっと勉強して、
客観性を自分に積み重ねて、
柔らかくならなくちゃならない。
ただし、ここぞという時に一点集中型のフルパワーを出す覚悟は常に必要で、
それは、誰にもわからないように、
奥の奥にしまっておいて、
いざという時にだけ使う。
常に出す気満々だと、
昔みたいに、周りをぐちゃぐちゃにするだけだし。
そういう無神経なやり方は、自分も何も生かさない。
こうやってここに、細々と書いて、
自分が何を思ってるのか、
自分の書いた文字を自分の客観性が追いかける。
何だかツラツラと書き綴って、グルグルしてきたのでやめます。笑




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僕のやり方




人の意見や価値観が様々であることは、僕自身しっかりと認識して受け入れなければ、
僕自身がとても貧弱な人間にしかならないだろう。
そのことをもう十二分にわかっているから、
どんな人の言葉や行動も、理解する姿勢は常に持っていたい。
しかし、その言葉や僕に対する意見を、
自分の表現に取り入れるかどうかは、
よく判断しなければならない。
2012年の6月に高校の教育実習に行った時、
先生方が自由を与えてくれたので、僕は僕のやり方で授業を丁寧に進めることで、
上手く生徒との関係を築くことができた。
しかし、後の授業で指導教官の先生方からいただいたアドバイスを取り入れ、
やり方というか、姿勢を変えたとたんに、
生徒の意識は授業から離れ、失敗した。
先生方のアドバイスが悪かったというのではない。
そのやり方を、僕がやるべきではなかったということだ。

僕は教師を目指し始めてもう10年になる。
社会的な「免許」は取っていても、まだ僕の中での「教員免許」は取れていない。
納得できていないのだ。
そうやって、自分自身で経験を積み重ねて、
それらを分析し、
よく考えるという行為を積み重ねていると自負しているから、
もっともっと自分を信じてみよう。
自分の直感や判断を信じてみよう。
ただし、
毛穴はいつも開いて吸収率は常に高く、
僕は僕にしかできないことを、
良い循環を生むことをやるべきだ。




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こだわりの欠如




何だか同じようなことを何度も書いてしまいます。
たぶん、僕にとって今は転換期で、
自分に対する戒めと、
これから歩いていく道に対する確認作業を、
自分でも無意識のうちに何度も行っている証拠でしょう。
そういう慎重な姿勢というか、意識のうちにありながら、
整理すべきことを整理できない自分もいるのです。
何だか重要なことって、
「大きな円の中心部だけ」くらいに最近は思えてきて、
「こうじゃなきゃいけない、こうしなきゃいけない」
という自分の価値観の主張に終始するものが、
著しく陳腐な行為に見えるのです。

いい意味で何でもいい。
何でも楽しい。
そう、
何でも楽しさを隠し持っていて、
それを発見して引き出す楽しさを覚えてしまったから、
そういう意味で、
僕はもうこだわりが欠如してしまった。

ただし、そうは言っても本当に何でもいいというわけではなく、
僕が本当に受け入れることが出来ないのは、
著しく可能性を、
伸びシロを縮めてしまうような言葉や行い。

それは立ち位置の問題が主で、
その問題を解決するには、
やはり、僕自身どこにも属さない広い客観性を持ち合わせていないとうまく判断できないから、
だから、僕はどんどんニュートラルになるために、
勉強と経験を積み重ねていくつもりです。




本当に同じことを何度も言っていますね。
たぶんこれは、僕自身に言い聞かせているのだと思います。笑
もう君の言いたいことは十分わかった!
やるだけです。
4月後半はこの辺りで。
また5月中旬に。
ではでは
by keita-net6086 | 2013-05-03 15:07

2013年4月1日(3月後半)

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今年は桜が例年よりずっと早く咲きましたね。
しかし、開花してから少し冷え込んだせいか、随分長く桜を楽しむことが出来ています。
いよいよ本格的な春ですね。
暖かくなって、僕は精神的にも体力的にも安定していて、
2013年に起こるであろう様々なワクワクを受け入れる準備は万端です。
世の中が活動的になるとともに、
僕もそれに負けじと精力的に動いていこうと思います。
月を跨ぎましたが、3月後半の更新です。

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またもう一度、自分を世界に溶かす



毎年、この時期この写真が溢れることは致し方ない事ですね。
あまりにも魅力的過ぎて、
僕の天邪鬼な部分が反発心を抱くこともしばしばなのですが、
やっぱり自然とシャッターを切らされてしまうのが桜ですね。
満開の桜も良いですけれど、
僕は桜が散っているその時、ピンクが濃くなって葉桜の状態の時がどうしようもなく好きです。
4月の中旬には山の方に行くので、
標高の高いところではまだまだ満開の桜が見られることでしょう。
この桜が終わったら、新緑の季節。
僕もその時期に再び筆を持って、
作品作りを再開するつもりです。
徐々に描きたい衝動がフツフツと沸き始めています。
100号の絵を完成させて2か月弱。
一度も筆を握っていません。
またあの自分を酷使してでも、絵を描くという行為に完全に服従する、
幸せな時間に浸りたい。
自分なんていなくなってもいい。
そう思えるほど、僕にとって絵を描くことは自分を世界に溶かすことなのです。
そのステップを踏んだ数が、
もっともっと自分に世界を教えてくれる。

もっともっと。

いつまでもそんな風に生きていきたいものです。



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大きな問題1つよりも、小さな問題10個の方が大きな問題



1つの小さな問題をないがしろにすること、それほど恐ろしいことはないと思う。
大きな問題というのは、比較的わかりやすい。
大きさゆえに、その壁は高く乗り越えるのも困難だけれど、
解決の方法はわかりやすく、体力勝負に終始したりする。
難しいのは小さな問題だ。
1つ1つの問題は小さいから直ぐに解決できるけれど、
直ぐに解決できるからと言って、ないがしろにしてしまったとき、
その積み重ねがスタートし、
気が付いたら解決不能なほどに複雑多様化し、
どこから手を付けていいかわからない程大きな問題となる。

小さな問題に一つ一つ丁寧に取り組むこと。
後回しにしないこと。
その重要性をしっかりと認識するかどうかが、
その人間の方向性を定め、
その人間のステージを決め、
その人間に見合った充実感や喜びをもたらす。

もうこの歳になると、大胆ささえコントロールしなければならないんじゃないかって思っている。
小さくまとまるとかそういうことではなくて、
全てにおいて、
手前にあるものの奥を見るような丁寧さが必要なんじゃないかって、
そう思う。

小さな問題が大きな問題。
このことを自分に戒めて、
丁寧な表現を心がける。



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やっぱり僕が欲しいのは説得力



何度この言葉を言ったかしれないけれど、
やっぱり僕が欲しいのは、
地位でも名誉でもなく、
人としての説得力なのだと思う。
お金に感情を左右されたり、
それを優先事項にしたり、
そのことがどれだけむなしい事か、
先の世代がもう示しているじゃないか。
雑な言い方ではあるかもしれないけれど、
楽しけりゃいいんじゃないかって。
本当にそう思う。
僕の言う説得力は、楽しけりゃいいってもんでもないけれど、
もっともっと大きな視点に立った時に、
世の中を楽しいと思えることが一番いいって本当にそう思う。
「思う」のは自由なのに、
本当にみんな自由なのに、
何で多くの人が、「思う」ことすらできないんだろう。
何とか僕は「楽しく思う」方向に世の中の舵を切りたい。
その舵を動かすだけの説得力を今身につけていこう。





今回はこの辺で。
絵の制作とともに、頭でっかちになりがちだったので、
4月からは新たなスタートということで、
もっともっと柔軟に面白い視点を書けたらいいと思います。
それではまた4月中旬に。
ではでは
by keita-net6086 | 2013-04-01 16:11

2013年3月5日(2月後半)

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3月に入るとともに、気温が上がって過ごしやすい日が続いていますね。
まだ夜は少し冷え込みますが、いよいよ春を迎えそうです。
そんな中僕は、学校の課程をすべて終了し無事大学卒業を果たせそうな自分へのご褒美として、
何も課さない時間を自分に与えていました。
難しいことも考えず、
やりたいことに整理もつけず、
心の赴くままに時間を過ごして、動き出す3月に向けて気持ちを温存していました。
学校とは一線を隔して、新しい生活の始まりですね。
自分でもワクワクしています。
月を跨いでしまいましたが、2月後半の更新です。



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3月3日、いい一日。



卒業制作が終わって、先に言った通り2月は自分に時間というご褒美をあげました。
3月は色々な人と会い、報告やこれからの話、バカ話をする計画を立てています。
その先陣をきって3日、
昼間に高校時代からの友人ともよに会って、お互いに色々な話をしました。
ともよとは、大学受験の浪人時代に苦楽を共にした中で、
それ以来ずっと、何というかお互いに理解しあえる大切な友達です。
ともよからもいい報告ととてもくだらないオモローな話を受け、
いい時間を過ごせました。
小金井公園の近くで会っていたので時間もあるし、公園に行ってみようということになり、
園内にある「江戸東京たてもの園」に足を運びました。
ずっと気になっていた場所だったので、
偶然ながらいい機会でしたね。

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たてもの園内にある建物は、僕らが生まれるずっと前に建てられた文化的価値の高いものばかりなので、
ノスタルジックに浸るのは少し上の世代だろうなと感じましたが、
気持ちとは別のところで、
その作りの細かい工夫や大胆な構図、
シンプルで丁寧な仕事に、
「はァ~、へぇ~」
と2人で感心するばかりでした。笑
温故知新という言葉がピッタリくる時間を過ごしたように思います。

ともよと別れ、夜はピエロの筆のメンバーの肇と役者をやっている明石さんと飲む約束をしていました。
役者の卵である肇を、映画、ドラマ、舞台で経験豊富な明石さんに是非一度会わせたいな~という思いから実現した機会でした。
明石さんは出会ったころから何だか息が合うというか、お互いに関心がある感じがしていて、
もう会うと時間を忘れて「表現論」を語り合います。
演じる上での苦悩。
描く上での苦悩。
表現という土台の上では、役者も絵描きも違いがないことが、
明石さんと話していると確かめることが出来るんです。
今回も僕と明石さんの怒涛の表現論議は行われ、初参加の肇は入り込む隙間があまりなかったようですが、
明石さんの話にはとても刺激を受けたようで何よりでした。笑
飲み放題2時間では語りつくせず、
結局次回に持ち越しとなりました。
夢中になって写真撮るの忘れてしまった・・・

理解できるというか、価値観を共有できるような人に会えること。
自分の周りにそういう人が沢山いてくれること。
こんなに幸せなことは無いのだなと、本当にしみじみと感じています。

さて、今月はまだまだ色々な人に会わなければなりません。
今から楽しみです。



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幸せな時間



仕事もせず、すべての時間を制作に捧げた2週間。
今振り返るととても幸せな時間を過ごしたのだと、しみじみ思うわけです。
小さい頃から、何故か「やりたいことをやる」ということに対して罪の意識を抱いてきました。
「好きなことだけやって生きていける程、世の中甘くない」という漠然とした意識にずっと支配されていました。
この意識が間違っているとも思わないのですが、
かと言って正解というわけでも全然ないと思います。
重要なことは、
僕たちが生きていく中で触れ合う多くの価値観に揉まれながら、
自分の中でしっかりと価値観を育むことだと思います。
「何か」の価値観に寄り添うのではなく、
自分の本物の価値観に気づき、育てる。
それが出来れば、
「好きなもの」は邪なものではなく、「自分を生かすもの」になり、
人生を彩ってくれるものになるのではないでしょうか。

考え方の違いや、
好き嫌いの違い、
育った環境の違い、
そんな小さな尺度の一つ一つで人や物を判断して、切り捨てる。
僕自身、自分の心の部分と丁寧に向き合っていないとすぐにそういうことをやってしまいます。
小さな尺度での判断は、自分を「楽」な方向へと導いているようですが、
実は自分をどんどん狭い方向へと追いやっている行為でしかないことに、
僕もちゃんと気づけたようです。

「好き」というのはキッカケでしかないようです。
それをどう育むのかが大切な部分です。
しっかりと育むことが出来れば、
「好き」が多くのことを教えてくれて、
自分を正しく導いてくれるはずです。

僕は絵に導かれました。
「俺の作品だ!」などと高らかに叫ぶ気は全く起きません。
ただただ、大好きな絵に世の中を教えてもらう、
僕自身を教えてもらう、
幸せな時間でした。

どうか皆さんも「好き」を否定せずに、認めてあげてください。
それは自分に幸せな時間を必ずもたらしてくれるものだと思います。




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もう無理だ




「たぶんここまで来てしまったら、もう無理だな。」
最近、そうやって思うんです。
歳を取れば取るほど、自分のバランスが取れてきて、
自分と上手に付き合えるようになってくる。
だから、どうしたら自分が輝くかとか、
どうしたら自分が周囲にとっていい環境、循環になれるかとか、
そんなことも大凡わかってくる。
でも、それは自分の型に自分を当てはめて、
新鮮味も刺激もない平凡な選択を繰り返すということではくて、
ちゃんと自分が生かされるように、
ステージを整えるということ。
それをしないと、たぶん自分に充実感がもたらされることはない。
だから、もう僕はここまで来てしまったから、
自分が生かされ、僕の存在によって周囲も生かせるような、
ステージ環境を整えずにはいられないのだと思う。

だから、後戻りすることはもう無理。
始まっちまったという感じ。
はァ~、もう面倒くさかろうが何だろうが、
やるしかありません。

もう、それから逃れることは無理だ。





2月後半はこのあたりで。
3月前半も会いたい人と会う約束がいくつかあって、
中旬には大学の卒業式です。
何か、気温の上昇とともに本当に気持ちも上がっていきます。
楽しみです!
それではまた、3月中旬に。
ではでは
by keita-net6086 | 2013-03-05 12:36

2013年1月7日(12月後半)

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あけまして、おめでとうございます。
2012年、12月締めくくりの記事はまたまた一週間遅れて、年をまたいでの更新です。
あっという間に2012年も過ぎ去っていきました。
ピエロの筆の再会と企画、学校の卒業制作等で本当に時間の流れが速く、
このペースで時間が流れていったら、
あっという間にジジイだなと、しみじみと思うわけです。
今年、2013年の夏で僕は28歳になります。
26歳の時、27歳は何か次のステップに行けるような、
素晴らしい一年になるような、
そんな予感がしていました。
色々わかってきて、
自分がどんどんニュートラルになっていって、
大きな予感を受け入れるだけのベースが整いつつあります。
謙虚に、丁寧に物事に接する姿勢は保ち続け、
今まで通りこの一年も、沢山勉強したいと思います。
そんな僕ですが、今年もよろしくお願いします。
 


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良い変化はとても心地がいい



年末年始は、東京と地元茨城を行ったり来たり。
それでも実家でのんびりと過ごす時間を作れたので、リフレッシュできました。
地元で、ガキの頃から知っている地元の友人と会っていると、
変わらないと思いつつも、少しずつ皆大人になって、
妙な柵もなく、素敵な変化を感じます。
それが僕にとってはとても心地いいものでした。



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FOLLOW ME



年末に「FOLLOW ME」という映画を見て、とても印象的な台詞と出会った。

『この世で最も重い罪は、喜びを否定することだ。』

2012年、本当に多くのことについて考えたけれど、
そのすべてのものに共通する芯の部分を代弁してくれるような台詞だった。
なんで苦しいんだろう。
なんで苦しんでいるんだろう。
その難解な問いに対して、上手に答えている表現だったから、すぐに僕のアンテナに引っかかった。
この文字を太陽に透かして見ると、その裏には「あなたで生きていいんだよ。」という真意が書かれていた。
2012年の最後に観た映画は、僕にとって大きな価値のあるものだった。



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Soupir de dame

  

Soupir de dame(スピール・ド・ダム)とは「淑女のため息」という意味。
これは、スパークリングワイン等の栓を抜くときに、ボトルの内部から空気を抜くときの「シュッ」という音のことをいう。
あの音を聞いただけで、こういった表現に至る人の細やかな感性に惹き付けられる。
人生の中で、
多くのことを経験して、
あらゆるものから沢山のヒントをもらって、
「大人になろう」と丁寧な表現を心がけて、
それに伴って、更に吸収率が上がって、
そのすべてが、
体の芯から指先までに充実感を与えるように、
心と体を生かして、
グルグルと、
螺旋階段を上っていくように、
人生を進めていく。
僕はもう、
地位とか名誉とかはいらないから、
本物と本質と、
ずっと憧れだった本当の「大人」だけが欲しい。





2012年は今さらですが、このあたりで締めくくらせていただきたいと思います。
これからもこのブログは、月2回更新を続けていくつもりなので、
興味を持っていただいている方々は、今年もよろしくお願いします。
それでは新年最初の記事は、1週間後に。笑
ではでは
by keita-net6086 | 2013-01-07 14:24

2012年12月1日(11月後半)

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寒いですね。
当たり前のように。
一週間ぶりの更新です。
先の記事で、書きたいことは沢山あるが整理できていない、という話をしました。
未だ、その状態が続いています。
そして、「やらなければならないこと」に引っ張られています。
自分で前に進んでいる感覚があまりありません。
自分でカッコ悪いなーと思いながら、
今しがたズルズルと、本当にズルズルと「やらなければならないこと」に引っ張られています。
こういう状況を打開するには、思い切った行動が必要かもしれません。
早く自分の中の大きな流れに乗っからなければ、
このままズルズル引っ張られたままです。
精神も下降気味です。
一つ、自分に「何か」を与えてみよう。
そう思います。
全然整理がついていないのですが、更新します。
月をまたいでしまいましたが、11月後半の更新です。



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身体と精神を繋げるもの


精神が下降気味の僕を、地に落ちぬよう支えてくれるものの一つに、
「食」があります。
身体的に、欠くことができない食事ですが、
これは精神を支えるのにも一役買っていて、
やはり、カップラーメンの毎日では、
精神は支えられないのです。
カップラーメンがいけないのではなく、
カップラーメンを買って、日常的に食してしまう、
全過程に、精神を下降させる原因があるとおもうのです。
僕は、年に数回しかカップラーメンを食べませんが、
積極的に食べています。笑
積極的というのは、行き着いた先がカップラーメンなのではなく、
目指す先がカップラーメンということ。
きっとその全過程においては、
僕は生き生きとしているだろうと、
そう思うのです。
健康、不健康、
今の世で僕はこれについて多くを語る気はありません。
しかし、「精神が健康であること」、
これ以上に価値のあることは、僕には思いつきません。
「食」というと、どうしても身体的な健康面を強調しがちですが、
僕が食に多大なる関心を抱くのは、
精神をいい状態に保つのに、
どんなに精神がズタズタになっても、
ギリギリの、最後のところで支えていてくれるものだと考えているからです。
マクドナルドを食べるのも、カップラーメンを食べるのもいいでしょう。
それに引っ張られず、
自分の精神がいい状態にあり、
周囲の人々に、いい影響を与えるのであれば。
それでいいのだと思います。



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求めてくる音楽



ずっと昔から、僕にとってしっくりとくる音楽がなんなのかわからなかった。
というのも、あまりに周囲の評価に引っ張られてしまって、
自分の真ん中の部分で音楽を選んでいなかった。
最近、自分がニュートラルな状態にある様心がけていて、
その位置に立っていると、
周囲の評価に引っ張られていた昔の自分がバカバカしくなる。
昔は、パンクやロックも聞いたけれど、
たぶん周りのみんなが聞いていたから。
いざ力を抜いてみると、
全然好きじゃねーや。笑
もちろん、一部好きなものもあるけど。
そうやって、力を抜いて、ボーっとしてみてわかった。

クラシックだ。
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いやカッコつけているわけではない。
本当にここに行き着いてしまったという感じ。
クラシックは、
共感を求めない。
ポップやロック、パンクは、
共感、自己顕示欲、社会批判に溢れていて、
なんだか聞いていて堪能してしまう。
クラシックはもっと違うものを求めてくる。

同調だ。
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聴き始める、というか空間に流れ始めると、
じわじわと、磁石のように引き付けられ、
いつの間にか、感覚的に同調している。
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感覚をコントロールする術を、
僕はクラシックで手に入れたようだ。
ある意味、恐ろしい音楽だ。
それだけの力があるんだから。
全然書き方がわからなかった今回の投稿も、
クラシックを流したら、30分でここまで書いてしまった。

完全に同調している。
恐ろしい音楽だ。

クラシックに敬意をこめて。笑




今回は、この辺で。
12月中旬は、京都での授業を終えて帰ってきてからの投稿になります。
授業の様子やそこで感じたことなど、記せたらいいと思います。
なんだか急ぎ足ですね。
クラシックのせいです。笑
それではまた、12月中旬に。
ではでは
by keita-net6086 | 2012-12-01 16:45