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2014年7月8日(6月合併号)

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またまた更新できずに一ヶ月が過ぎてしまいました。
世間にとってどうでもいいこの場所に、自分の書きたいことを書き続けていますが、
今の僕にとっても、これからの僕にとってもここに書くことが大事だったりすると思うので、
友人に話をするように、ここに文字を打ちたいと思うのです。
今までよりももっと肩の力を抜いて、
話す代わりに文字を打つように、
自然と続けていければと思うのです。

6月は何だかとても不安定でした。
弱い自分をいやという程認識せざるを得なくて、
自分のみじめな姿から目を逸らしたくなるほどに、
浮き沈みの激しい時を過ごしたと思います。

それでも不思議とこれからのことに漠然とした希望と期待を抱けるのは、
不器用に生きてきたこれまでの人生の中で、
共感し、共有し、同じ方向を向いている人たちと身近に出会えてきたからだと思います。
その大切な人たちの存在のおかげで、
僕は「自信」と「自身」を保てているのだと思います。



僕はそんなに人間が出来ていないし、たぶん生き方は不器用だし、自然と人を惹きつけてしまうような魅力もない。
ただ、そんなみじめな自分が存在している価値を、
自分でも納得できるくらいには残したい。

自分には何ができるのだろうか?

という問いは、物心ついたときから散々自分に課してきたけれど、
未だまだわからず。
ただ今は昔よりもずっと頭がクリアなことは間違いないから、
もっともっと世の中をわかっていきたい。
それで、自分の立ち位置をもっと理解したい。

物事をうまく運ぶにはまだまだ未熟で、
自分の感情をコントロールしたり、
相手の立場に立って物事を考えたりが、うまくできない。

抑制するのではなく、次のステップへ進みたい。
抑えつける必要はないと思っている。
ストレスは積極的な行動にかけるべきものだと思うから、
感情や理解を次のステップへ。
その方法はまだわからないけれど、
たぶんそれは方法論ではなくて、
少しずつ鍛え上げる筋肉のようなものだと思う。
年齢と共に、少しずつ太い柱を築いていく。

抑え付けるのではく、自分から出てきたピュアなものを大切にする。
そしてそれを、自分のためではなくて人のために使う。
それが、次のステップなのだと思う。
やっぱり精神が大事。
自分を支えるものは健康な精神だと思う。
精神が腐ったら、すべてが終わってしまうから。

どんくさいなーといつも思う。
いつもいつもわかってることの繰り返し。
突き進んで、失敗して、戻ってきて、同じことを再確認して、また突き進んで・・・
だけどそれが僕だから、僕にしか歩けない道を歩くしかない。
園をグルグル回っているのではなく、
螺旋階段を上っていくように。
中心はズレずに、少しずつ上に、上に。

常に変わり続ける世の中だから、
僕も毎日変わらなければ。
成長しなければ。

そう思って、
7月8日23時18分、現在、
眠りにつく決心をする。

明日も頑張ります。
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by keita-net6086 | 2014-07-08 23:19

2014年5月29日(これまで)

これまで

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3ヵ月ほどここを放り投げていました。
部屋の隅っこに放り投げて洗われないTシャツのように放置してしまいました。
誰に謝るわけではないけれど、
何となく申し訳なかったと言いたくなります。
2年以上継続的に続けてきて、突然3ヵ月放り出したことに大きな理由は無いのです。
人間ってとても複雑で、あやふやで、危なっかしいのだと思います。
でもだからこそ魅力的で、力強くて、情熱的なのだと思います。
今回はそんな感じの話をしたいなと思います。



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PURE



ピュア。
純粋、素直、不純物の無い、混ざり気のない・・・
最近この言葉が妙に気になっている。
事あるごとに僕の触手に引っかかってくる。
たぶん、そのシンプル故の力強さに魅了されているのだと思う。

推進力にかける近頃の自分に与えたい力なのだと思う。
僕は自分に「ノル」時期があるのを理解している。
自分の肉体を惜しまず捧げ、
時間もお金もふんだんに使う。
それが「ノル」時期だ。
そのノッている時期は、とてもピュアでいられる気がしている。
どんどん湧き出る感情によって自分が突き動かされて、
破壊力ともいえる推進力は抑制することがとても困難で、
上手に自分で客観性を組み込まないと、
何かとんでもないことをしでかしそうな、
そういう不安に駆られる程でもある。

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野性的。
そう、そういう言葉がピッタリかもしれない。
何としてでも得たい。
何としてでも実行したい。
そういう「何としてでも」欲する衝動はとても動物的で、
だからこそ、
情熱的で、楽観的で、自己陶酔的なのだと思う。

自分が進んでいると感じられることが何よりも快感で、
違う速度で共に生きている周囲の人たちへの配慮に欠けることもある。
たぶん、それがこのノッている時期のもう一つの特徴で、
その破壊力上に強行突破を図ろうとする。
それが故に自分の快感とは裏腹の他人の反感を買うことも多々ある。
でも、その反感が自分を育てる糧であったりもするから、
決してその破壊力が欠点とは言えない。

要は考え方の問題だと言えばそれまでなのだけれど、
僕は紛れもなく僕だから、
ちゃんと僕でなければ損をするだけな気がする。
それは、自分勝手、自由気ままなのではなくて、
ちゃんと勉強して、ちゃんと考えて、色々な要素を大事にして、
その材料が揃った上で、「僕」が正しいと思う「感覚」を信じる。

PURE

とてもいい言葉だと思う。
「NEUTRAL」とか「PURE」とか、
僕は横文字ばかり好きだけれど、
たぶんそれは「憧れ」という僕にとって純粋な推進力の表れなのだと思う。
もっともっとピュアになれたら、
もっともっとニュートラルになれたら、
そんなことを思ったりもするけれど、そうもがいてる自分の今の生活は嫌いではない。

天才でもないし、何でもチャチャッとこなしてしまう器用さもない。
もういい加減そんなことは理解しているから、
自分のペースで堅実に進めるだけだ。


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さて、この半年間没頭してきた仕事は結果と共に落ち着きをみせ、
これからはその仕事を他人にパスしていくことが仕事になる。
僕はまた、新たな環境づくりをしなければならない。
もっともっとPUREであれる環境づくりを。

そんなこんなで、何だかんだ楽しい毎日を送っている。
ただ、もっともっと幸せを感じることが出来る状況もあるんだろうなと日々思っている。
そういう日がやってくるように、自分なりに堅実に楽しく毎日を生きていようと思う。


久々の更新なので何か沢山「喋っている」気がするけれど、
それもご愛嬌。
また月二回ペースで更新していけたらいいと思います。
次は6月中旬ですね。
ではでは




by keita-net6086 | 2014-05-29 17:10

2014年3月8日(2月合併号)

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3月に突入してしまいました。
三寒四温という言葉をそのまま表したような日々の連続に、
なかなか自分のペースを保てずにいます。
分かっているのにどうもうまくいかない。
そんなモヤモヤを毎日感じていて、どうやったらそれを振り払えるのか模索の毎日です。
たぶんこういう時は大胆な行動というか、決意のようなものが必要で、
楽な方向を模索するのではなく、
むしろどんどん自分に課題を出していっぱいいっぱいにさせるくらいの方が、
僕の身体にはあっているような感じもします。

よっしゃ、やってやろうじゃないか。

そうやって自分が奮い立つ状況を自分でつくる。
そうやって地道にやっていくしかないのですね。
まだまだ全然自分をコントロールできていません。
28年も生きているのに悔しい限りですね。

いつまでこんなことを繰り返さなければならないのか...

と、ふて腐れてもしようがないから、
とりあえず今日、明日やるべきことを整理するのです。







中学生の時、サッカーをやっていた僕は一度だけ大きな怪我をしました。
右足の太ももとふくらはぎを繋ぐ関節の外側の筋を伸ばしてしまい、
一ヶ月間走ることが出来なくなってしまったのです。
当時、中学2年生だった僕はレギュラーとして試合に出場していたけれど、
その怪我によって1ヶ月の間僕のポジションをチームメイトに明け渡し、見守りました。
ボールを蹴れない以上、僕はサッカーができないと思っていました。
しかし、すぐにその考えが間違っていることに気が付きました。

ボールがなくたって、サッカーはいくらだってできた。

そのことに気づいたとき、僕のやるべきことは明確になりました。
普段おろそかにしていたウェイトトレーニングに打ち込み、上半身を鍛えました。
あるいは、試合や練習を客観的に見ることで、分析力と問題解決力が身に付きました。
今ここで述べていることを当時から今ほどきれいに整理できていたわけではないけれど、
そういうことを明確に感じた瞬間をはっきりと覚えているのです。

それは、怪我から復帰した最初の紅白戦でのことでした。
控え組で出場した僕はレギュラー組の僕のポジションにいるチームメイトとマッチアップすることになったのです。
試合が始まって間もなく、自分の変化に自分で驚きました。
申し訳ないほどに、レギュラー組のチームメイトが小さく見えたのです。
それは、「僕が怪我をしていた1ヶ月間、何をやってたんだ?」
と思ってしまうほどの驚きでした。
彼は間違いなく毎日僕の目の前でサッカーをしていたし、
試合にもレギュラーとして出場していました。
その彼が、この1ヶ月の間に実力を落とすはずがないから、
たぶんこの感覚は自分がこの1ヶ月の間に成長できたことの証なのだと感じることが出来たのです。
そしてそれは、僕自身の驕った感情に頼ったのもではなく、
前半終了を以て僕がレギュラー組に復帰したことを考えれば、
この一カ月の間にできた僕と彼との差は、監督の目にもはっきりと映っていたのだと思います。

この経験が、まだ13〜14歳の記憶が今でも僕の内側に息づいているのは、
それほど価値観の揺さぶられた証拠なのでしょう。

大事なのは「幅」

だと、体で理解した瞬間だったのです。
ボールを蹴るだけではダメ。
筋トレをするだけではダメ。
走るだけでもダメ。
考えるだけでもダメ。

大切なことは、
全ての経験を「糧」にすること。
自分の生きた1分1秒を糧にすること。
サッカーが上手くなりたかったら、
料理が上手くなりたかったら、
絵が上手になりたかったら、
良い先生になりたかったら、

全ての経験を無駄にしない覚悟を持つこと。

それに尽きるのだと思います。
疲れると、未だに痛む右足の筋が僕を戒めるように、
常に前進と変化を求める僕の人生の若かりし時代の上で、凛々しく立っています。



事実になる



とは、言葉や行動を発するという自らの能動的行為を以て完了するのではないでしょうか。
発するという行為はあくまで能動的行為であって、自らの意志があることが基本原理になる。
一方で情報は否応なしに自分の内側に絶え間無く侵入してきているから、
それはとても受動的で有意志に関わらず自分の内側にどんどんおさまっていってしまう。
私たちは、その莫大な量の情報を整理する間も無く内側に蓄えていっている。

「声を出して読みましょう。」
「話してスッキリした。」

というのは、あまりにも多くの情報に困惑してモヤモヤしていた自分に、明確なヒントを提供するということだと思う。
前述したように、自分の意志ののった行為を通すことで、初めて事と自分が向き合い実を結ぶ。
事を世の中における事実として見ることで、
自分でも、こんなこと思っていたんだ。
自分ってこんな人間なんだと再認識することになる。
黙っていては事は実を成さず、本当に何も始まらない。
事と向き合うために自分の内側から発ることで、事を世の中に出してみる。
世の中に出した時に初めて事実となる。
そうやって少しずつ事実を積み重ねるために、

発する。

これ、大事だなーと寝てて起きかけの時に思ったので、急いで書き綴りました。笑
自分で、俺は何を考えながら寝てんだ?
とおもいました。



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丸くなる



丸くなるっていうのは、角をすり減らしていくことではなくて、寧ろ角を増やしていくことで多角的になることだと思う。
角を増やし続けて拡張的に円を描いていけるなら、それは良い人生を送れているということかもしれない。
たぶん僕はそういう生き方だと思う。
4角形が5角形に。
5角形が6角形に。
今、僕は何角形くらいだろうか。
もっともっと角を増やしていかないといけないだろうな。





2月合併号はこの辺りで。
3月はちゃんと前後半で記事を更新できたらな、と思います。
それではまた次号。
ではでは
by keita-net6086 | 2014-03-08 08:21

2014年2月11日(1月合併号)


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新年一発目、1月の更新は遅れに遅れてしまい、歯切れの悪いスタートとなりました。
2月に入り寒さも増す中で、ふと自分を俯瞰してみることが多くなったように感じます。
1月前半はどおにもダメでした。一度正月にオフしてしまったエンジンを再び暖めるのにはそれなりに時間が必要だったようで、
1月の終盤にきてやっと自分の苦労を託つのを止めて、
僕の意志とは別のところでやるべきこと、やらなければならないことと向き合えるようになりました。
つまり、自分の日々の活動の純度が精神的にも、その環境における客観性をもった効果としても、高くなってきたようなのです。
濁りに濁っていた僕の頭のなかは、体を動かし、血液を循環させることで透明度を増し、体も目も冴え渡って来ていることが実感できます。
しかし、2月に入るとまた少しそのペースもゆったりとしてきて、
月の初めはどうにもうまく頭と体が繋がらないことに、悶々としています。
こういう時は、諦めて好きなことをやったり、
映画を観たり、思いっきり寝てみるのも一つの手で、
その反動で、自分の溜りに溜まったエネルギーを開放するのが一つの手です。
3、4月はどう考えたって忙しくなる。
2月の落ち着いている今の時期から徐々に集中力を高めていかなければ、
世の中全部に置いてけぼりを食らってしまう。
今の職業柄、それは許されないなと気は引き締めていかないとなりません。
2月も残り半月ですが、更なる飛躍に向けてヘトヘトになるまで精一杯やってみようと思います。


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まず、やってみる。



こんな当たり前のことを何度口にし、何度行動に移してきたことでしょう。
それでも尚、この行動理念は僕を裏切ることはありません。
まずやってみて、失敗してみることが大切で、
成功というか達成度の高い働きはその失敗の質によって支えられるのだと、最近はつくづく思うのです。
とりあえずやってみて、失敗してみる。それをもとに改善を繰り返し、到達度を上げる。
そして、それを体系化して客観性に落とし込む。
この過程を経てやっとその仕事や課題から離れることができる。
最近はこれの繰り返しです。
こういった仕事はただ馬車馬のようにさっさとやればいいというだけではなく時間をかけることも大切で、
寝かせて、馴染ませて、それがある程度効果を発揮するのかどうかを判断する必要があるのです。
行動を起こさなければ何も起こらないという当たり前のことに気づくのに、僕たちはどうにもこうにも苦労します。
何度も何度も自問自答を繰り返して、
成功も失敗も繰り返す。
常に変わらないことなんてなくて、
どんなにプロフェッショナルと言われる人たちでもそれは同じで、
試行錯誤の繰り返し。
野球選手は打率三割で一流打者ですから、元々30%くらいの成功率で優秀と思わなければやってられませんね。
70%の失敗で成功を支える。
とにかく失敗してみようという感覚で前に踏み出す。
それくらいの気概と大胆さが前進するには必要なのですね。
そんなことはもう十分に知っていますね。
大事なのは感じることですね。
レイチェル・カーソンの言葉です。



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あの絵を描いてから、もう一年が経つ



ちょうど一年前の今頃は、絵の具まみれになって卒業制作の絵の仕上げにかかっていたっけ。
今は毎日仕事しているけど、
当時は何週間も仕事を休んで、絵を描くとに没頭していた。
あの時、一年後に今のような仕事に没頭する自分は想像できなかったし、
そんなことを考えようともしなかった。
あの時は僕にとってあの絵を完成させることが大事で、
これを完成させれば、この後の自分の人生が開けるような感覚があったから、
あの時は絵の事しか考え無かったし、
これが終わったら次はこれ。
なんて要領の良い計画も立てていなかったから、これからどうなるのかわかっていなかった。
そういう危機感と同時に大胆さと自身を持っていたから、
不思議と全く不安はなかった。

あの絵を描き上げてから、色々なことがあった。
あの絵に価値観を動かされ、その気持ちを誠実に伝えてくれる人たちの存在が、
価値のある仕事が出来たという自信となって僕を今でも支えてくれている。
その自信を手に入れてから、
僕はこの一年まっすぐ歩いてくることが出来た。

春には須藤さんの畑に頻繁に通うようになって、
農産加工品をつくって売ることになり、毎週のように相模原へ通った。
毎週のように経験した新鮮な感覚は、人間の間で働く自分に一種の違和感を与えることもあったけど、
一方でそのことを愛おしく感じることもあった。

6月にはフリーランスとなり、
飲食店と契約して自分の質を試されるような仕事をするようになった。
自分の感覚を信じて、
大胆な行動もとった。
ガムシャラに進んで、心も身体もボロボロになると、
畑で土に触れることに多大なる価値を感じたりもした。
そうこうしている内に、自分のしてきた仕事に結果が伴り、成果を出した。

そして、
その自信が裏目に出る出来事があって、仕事の環境を変えることにした。
それからというもの、予想以上の仕事量が自分に圧し掛かり、
畑に足を運ぶこともできなくなった。
このブログの更新すら、区々になってしまった。
でもこの仕事をして得られる充実感だけは僕を支えてくれる。
不安も沢山あるけれどまだ自分を信じることが出来ているし、
少しずつ芽生える成果を発見したときは、
畑で小さく実り始めた野菜を発見した時のような喜びもある。

あっという間の様で、色々あった一年だった。
この一年を振り返ると、
この先一年も凄く楽しみになってくる。
そういう風に感じられるだけで、たぶん幸せなのだと思うから、
また色々とがむしゃらになって頑張ってみようと思う。


あの絵は、僕自身に価値のある仕事を示したから、
今を支えてくれているし、自分のこの先も導いてくれる。
そういう価値ある仕事をずっと続けていこうと思う。




by keita-net6086 | 2014-02-11 09:16

2014年1月6日(12月合併号)

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明けましておめでとうございます。
結局12月年内の更新もままならず、年を跨いで、正月もゆっくり過ごしてからの更新です。
何だか年始早々にこういうことを言うのも少し気が引けるのだけれど、最近は上手く自分を動機づけることができていないのです。
仕事がある程度自分の思い描いたように上手くいき始めたので、まだまだ取るに足らないレベルにも関わらず中弛みというか、
少し余裕ができたように、できることをやらない、やりたがらないで後手後手に回ってしまう自分がいるのです。
狭い範囲での自分の成果に満足している自分がいるのです。
これは自分の成長を妨げる類いのもので、
早く今の状況を打開しなければならないと、僕の内側は忙しなくモヤモヤが渦巻いています。
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自分の不満とか、うまくいかないことを少し前までは人のせいにしがちだったけど、
人は自分を写す鏡だと思えば、人の僕に対する接し方が僕自身に対する答えであって、
不満も失敗も自分の責任だと覚悟を決めることができるのです。
僕の姿が人をそうさせることに気が付きます。
「俺ってこうしたかったんだ。こんな人間だったんだ。」
と人から教わることができるのです。
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自分を一番理解しているのは自分だ。
これはあながち間違ってはいないと思うけれど、このことに固執してしまうと自分を見失ってしまいます。
自分を良く生かしてあげなければならないのは間違いなく自分だけれど、
そのヒントはちゃんと他との繋がりの中から見出さなければならないでしょう。

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今年の初詣は、
僕以外に参拝者の見当たらない、実家から一番近いところにあるボロボロの神社でした。
小さな頃から馴染みのあるこの神社が、
何故か今年の初めに訪れるべきところだと思ったのです。

今年はもっともっと素直になれるように。
もっともっと気持ちのいい人間になれるように。
今までのすべての経験が報われた人間であれるように。
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占いの好きな母親が、
「あんたは今年は花開く年だって。」
と何気なく言った一言に背中を押され、そのイメージを温めています。

間違いなく、僕は才能溢れる人間ではないから、
花が開くのは若い内ではないと確信していました。
そのことにふて腐れていたわけではなく、
さっさと輝かしいステージは諦めて、努力して、勉強して、
何とか少しでも価値のある人間になろうと決めていたのです。
その僕が花開くというのはどういうことだろうと、今はそのイメージを温めるのです。

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世の中から沢山刺激を受けて、ピンとくるもの来ないもの、感動するものしないもの、興奮するものしないもの。
そんな振り分けを何回も経験することでわかってくる、自分にとって大切なこと。
そして、こういうことを大切にしたい人間なんだってことを客観的に理解することが重要です。
だから、自分にはできるだけ幅広い経験を与えた方が、自分で自分を理解できるようになると思うのです。

僕にとって、はじめて歩く道はただそれだけで価値があります。
知らないというだけで、多大なる価値がある。
だから、知らないことを知った時、28年と5ヵ月生きた僕から湧いてくる感情を大切にしようと思うのです。
それが、たぶん今この歳でしかできない行動や経験の幅を広げるし、今後の人生において掛替えのない程の価値のあることになるのです。
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自分の感情を記号化しないよう、丁寧に扱うことを心がけます。
たぶん、サービス業が溢れ替える中であまりにも記号化されたものばかりを僕たちはみるようになりました。
そのことが原因で、複雑さを豊かなものとして受け入れるのではなく、面倒なものに陥れてしまいがちです。
絵を描くと、世の中の僕たちが普段目にしているものの複雑さに面食らうことになります。
空は決して「青」ではないし、マクドナルドの看板は決して「赤と黄色」ではないのです。
僕たちの周りにはあまりにも複雑で、あまりにも綺麗なものたちが溢れています。
そんな世界にいるのだと、十分認識して、
単純化することばかりに終始しないよう、バランスをしっかりとっていきたいと思います。
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年の初めにここに綴るのは、やはり今年の意気込みだけれど、
リセットではなく、ずっと繋がってきた流れの中での再確認。
今年はこのブログももっとしっかり進めていけたらいいなと思います。

12月合併号はこの辺りで。
この1月からしっかり更新していけたらと思います。
ではでは
by keita-net6086 | 2014-01-06 15:08

2013年11月16日(10月11月前半合併号)


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10月に入って、職場が変わって一気に押し寄せてきたあまりにも多い課題の数々。
それらが僕に襲いかかって来るだろうと精神的な準備はしていたけれど、いざそれらと向き合ってみると、自分の仮定的で希望的観測の強いイメージがあまりにも貧弱であることに驚かされました。
やはり、事実とぶつかり合って、それらにしっかり触れることで、自分の肌でその温度や固さ、湿度を感じること。その感覚的材料をまずは多く保有するところから始まるのだと改めて思ったのです。
季節はめっきり秋を深め、日々寒さを増す気温に反比例するように植物は暖色を纏っていくようです。
僕はこの季節が何だか以前よりもずっと好きになっていて、忙しいというフレーズが当てはまるような日々の中でも、慈愛あるしっとりとした今の季節が僕を慰めてくれます。
そのおかげで、沢山の課題を前にしても精神的には良好な状態で前に進んでいます。
10月から更新できなかったので、合併号としてここに綴ります。
月を跨いで10月と11月前半の合併号の更新です。



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イトヨリダイから



先日ASOで食事をした時のこと。メインディッシュでいただいたイトヨリダイを食べたあとこんなことを思った。

「僕たちが何にお金を払っているのかが重要なんだ。」

付け合わせは軽くグリルされた野菜。イトヨリダイは小麦粉を着けてカリッと香ばしくソテーされていて、ブールブランソースとバルサミコソースで仕上げられていた。
とても丁寧に作られていて、全然ネガティブな感情はなかったのだが、「これくらいならできないことはないな~」、とただそれだけ思った。
食事には一通り満足だったし、自分の負けず嫌い精神が強く働いたわけでもない。
ただ、お金で測ることができる価値の内訳は、実質的に僕たちが料理を口に入れる手前までに大きく左右されることを本当に強く再認識した。

つい数日前、スーパーで398円がタイムセールで半額になっているイトヨリダイを買って、自分で調理して食べた。
イトヨリダイはいつも美味しくそこにあるのだと肌に触れて理解ができた。

何が重要なのか、少しずつわかってきている感覚がある。
もう少し、もう少し。
答えはないけど、何かを掴めるまでもう少し。
そのあと一歩は、僕の内側にもお既にあるのかもしれない。



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昔の僕に謝りたい



何を割りきろうと、「今」だけがその答えであって、それがそのまま実力だと言わざるを得ない。
今はそれ以上でも以下でもなく、可能性をどれだけ保持していようが、今その目に映る僕が僕の実力なんだ。

事実

それはいつからか僕が最も重要だと考えるようになったことだ。
徐々に徐々に、様々な経験を経て、その考えに至るヒントを積み重ねた。
祖父の亡骸を撮ったとき、今まで撮っていた写真が事実を写しているようで、そうでないことがよくわかった。
僕の脳と、目と、感情と、フィルムとレンズと、被写体がひとつの一貫した線で結ばれておらず、結ばれなかった理由は、僕の自己顕示欲や虚栄心に満ちた幼い感情が、目の前にある事実を切り離していたこと。

割りきったり、切り離したり、意識的でも無意識でも、どちらでさえそれは、自分を防衛するために築いたつもりがいつのまにか自分の回りを囲い、自分自身を狭い世界へ閉じ込めることになっていた。

そのことに気づけた今、後悔はしていないけれど昔の自分に謝りたいと思う。
昔の僕の可能性を十分に生かしてあげられなくてごめんなさい。
今の僕から昔の僕へ、正しいかどうかはわからないけれど、そういう感情が自然と湧いて出てくる。
この感情はたぶん、今はもういない昔の僕へではなく、昔の僕のような僕よりも若い世代に送るべきなのだと思う。

勿論、一教育者として。

溢れんばかりの可能性を潰さない。
自分の中に流れる時間を、割りきったり、切り離したりせず、自分の人生の上にしっかり乗せられるようにサポートする。
たぶんそんなことが、僕の仕事になるのだ。
ただそれだけでいいのだと思う。

大事なのは、過去とも未来とも繋がった「今」。
今と言う「事実」だけが応えだ。

僕自身、その事から逃げてはいけないのだと強く思うこの頃なのである。



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山梨



に行ってきました。
よく行くとは言わないけれど、何故だか親しみあるというか、馴染みのある懐かしい臭いのする土地なのです。

久々に富士山を間近に見て、恐らく行ったときがピークであろう鮮やかな紅葉に心震えっぱなしでした。
呼吸を深く吐きたくなるような環境に、体の内からリセットさせられました。
沢山の写真を撮ったのでそれを載せることにします。

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今回はこの辺で。
沢山感じることがあり、それを元に沢山考えた1ヵ月間だったけど、それを整理して文章に落とすことがなかなかできませんでした。
更新できず情けない自分を再認識。
またここからしっかりと更新を続けていきたいと思います。
それではまた11月後半に。
ではでは。
by keita-net6086 | 2013-11-16 14:02

2013年5月30日(5月合併号)

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梅雨入りしましたね。
梅雨の間に植物たちがしっかりと水分を蓄えて、
しっとりと色の濃さを増し、
夏の厳しい日差しに耐えうる体をつくる準備の季節。
5月半ばに更新ができませんでした。
僕自身、5月は本当に準備の時期で、
6月に起こる変化に向けて、
頭と体と環境を整えることに必死でした。
毎日やるべきことがいくつもあって、
それを終えるとあっという間に1日が終わっています。
PCの前に座ってゆっくりとブログを書く余裕もなく、
精神的には折れそうになる気持ちを、
経験を積み重ねることで築いてきた自分なりの治療法で、
自分に精神的安定をもたらしていました。
27歳には何か大きな変化がある。
そうやって数年前から直感的に感じていたのは、
満更間違っていなかったようです。
それについては、28歳になる頃、
また詳しくここに記していこうと思います。
5月前半の更新が出来なかったので、
前後半合わせた合併号の更新です。



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neutral




鳥を自分でさばいて食べたとき思ったことを話そうと思う。
それは、世の中のシステムや社会的価値観に引っ張られて自分を動かしている限り、
きっと僕は幸せにはなれないだろうと思ったということ。

あまりにも話が飛躍しているから順を追って話す。
鳥の命を自分で落として食べることが、
僕の中であまりにもシンプルなこととして受け入れられた。
「なんだ、これができればいいんじゃないか。」
って純粋に思った。
これまでの27年間、とても複雑なことを考えていた自分に驚かされるほどだった。

これまで、ずっと自分は何かにならなくてはいけないと考えていた。
そのために、そのための手段や行うべきものを必死に考えてきた。
難しいことも沢山考えたし、
難しく考えすぎることだって多々あった。
自分の中で問題が山積みになって、
それらが絡み合って複雑化し、
なんとなく、その試練に耐えられるかどうかが自分の中での課題になっていた。
「一生懸命が大事。生きるのは大変なこと。」
僕の意識の根っこの部分で、それが活力となっていたし、
それが効果を発揮したとき、充実感を感じてもいた。

そんな僕の27年間が、鳥を食べたときにひっくり返された。
「あれ、生き死にってこんなにシンプルだったんだ。」
鳥を殺して、僕はそれを食べて生きる。
ただそれだけだった。
感情的な問題は何もなかった。
自分を高ぶらせることもなければ、
降ってきた感情に苛まれることもなかった。

これでいいんじゃん。

そう思ったら、
僕は自分でちゃんと生きたいという意識がとても強くなった。
自分の名前で仕事がしたい。
そうじゃなきゃ、自分をより輝かせてくれるようなものに自然と近寄っていったり、
心から尊敬できるものと自然と寄り添ったり、
そういった、自分が本当に素敵だと思うような出来事が絶対起こらないなと思った。
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何にも引っ張られないニュートラルさと、
何にでも寄り添う柔軟さをしっかり持つには、
僕はしっかり渡辺圭太である必要がある。

そういう風に生きれたら、
たぶん幸せになれるって確信に近いものを感じてしまった。

自分の真ん中でいられたらとてもいい。
とても素敵な人生を送れる。
そのためのベースは自分でつくる。

その時決心した。
自分の名前で働くことを。
決心して思った。
実は小さいころからずっとやりたかったことって、
こういうことなんじゃないかって。

「 NEUTRAL 渡辺圭太 個人事務所 」

やることは至って簡単。
僕の今、目の前にあること。



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感覚を分析する




自分の感覚が捉えた、どうしようもなく惹きつけられてしまうものがいくつかある。
その中の一つの話、

鉄塔の話。

電波塔とでもいうのだろうか。
電波は出してないだろうからそうは言わないか。
田舎でよくこれを見かけるのは、比較的広い範囲の電線を繋ぐ役割を担っているからだろう。
僕の育った田園地帯にもこれが恐ろしいほど乱立している。
だから僕の原風景ともいえるものだけれど、
そういう理由でいまだに惹かれるというのは、
なんだか自分の中で説得力が足りない気がする。
あの鉄塔の何が僕をここまで魅了するのか、
全然分析しきれていない。
わからないことが嫌いな僕は、
魅了されているが故に問題を課せられているような気分だ。

こういう自分の感覚を分析するとき、
自然と自分の中で行うのは、
対象の客観的要素を抽出して自分の経験的感覚と照らし合わせること。
その作業を行うと、自分と対象の共通理解が進む。

鉄塔について言えば、
広大な田んぼの上に長い電線を通したり、
山と山とをこれまた長い電線で繋いだりしている。
「難しく考える前にデカイの立てて、繋げちゃえばいいでしょ。」
的な感覚を覚える。
こういう、とりあえずやっちゃおう!
やらなきゃわからん!
そういう大胆さはものすごく共感できる。
山の斜面に立って、
広大な自然をものともしないその凛とした立ち姿は、
なんだか格好良くもある。

この、基本的に肯定しようとする姿勢こそが「好き」というものな気がする。
「好き」って領域になるとこれがいきなり難しくなる。笑
だからそこには言及しない。

お分りの通り明確な答えは出ない。
けれど、この分析する過程が大切で、
この作業を行うからこそ自分のアンテナが広い範囲に張られることになる。
日本中を覆う電線のように。
感覚を感覚のままに蔑ろにしておかない。
自分が世界から拾い上げた、世界と共鳴した感覚を丁寧に扱う。

この過程は、僕の可能性をどんどん広げてくれる。
良い表現に繋げることが出来れば、
これ以上の喜びはない。
良い表現は、いい循環を呼ぶから。
僕は良い表現を心がける。
感覚の分析の目的はそこにある。





5月合併号はこんなところで。
6月からは生活の変化と共に、
新たなステージの中で新鮮に感じたことを記せていけたらと思います。
それではまた6月中旬に。
ではでは。
by keita-net6086 | 2013-05-30 17:14