来年から美大生

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ここまで来るのにいったいどれくらいの時間がかかったのだろう。

最初に美大というものを意識し始めたのは中3の時。進路を話し合う三者面談の際、母親が絵ばかり描いている私を見て、美術系の進路について突然先生に相談し始めたのだ。美大というものを、初めて自分自身と関連付けて考え始めた瞬間だった。
しかし、結局高校はスポーツ推薦で入学し、高校三年間はサッカーに打ち込むことになった。それからというもの、私の中で美大というものの存在は薄くなっていくばかりであったが、その高校というのが東京芸大に隣接し、美術科があったことを考えると、なんとなく腐れ縁のようなものを感じる次第なのである。

私の少年時代はサッカー一色なのである。なぜか大学の友人からは「スポーツできるの?」と言われるほど文学的な人間に見られるのだが、私の人生の系譜からすれば、70%はサッカー、スポーツで占められるのである。
サッカーから足を洗ったのは大学1年生の時。自分はこれ以上サッカーを続けていって良い人間ではないと判断した。
向いていないのだ。
勝ち負けなど、正直どうでもよくなってしまうのだ。試合に負けると私は人並みに悔しがるし、イライラもする。しかし、それは試合に負けたことにではない。試合に負ける時というのは、大体皆が(もちろん自分も含めて)やるべきことをやっていない時、サッカーを楽しんでいない時なのだ。そして、ろくな反省もしない。私は、負けの試合のたびに、その点だけが嫌で仕方なかった。勝利なんて望んでいないのだ。負けて、あそこはああだったねと、しっかり反省するくらいが性に合っている。勝負事には向いていないのだ。サッカーは私の人生を彩ってはくれたが、満たしてはくれなかった。いや、満たしてくれないのだろうと、そう思った。
そういうわけで、私はサッカーから足を洗った。小1~大1まで私の人生を彩ってくれたサッカーから。
「ありがとう。」と、素直にそう言いたい。

その大切な存在を切り離した反動で、私の心の片隅で、サッカーに隠れながらヒソヒソと存在し続けてきた文化・文学的性質が花開いたのかもしれない。

文明開化?

私はこの道を突っ走ろうとしている。どこまで行っても到達点の見えない、限りのない反省ばかりの、とても素敵な世界の入口に足を踏み入れようとしている。人生をこれに捧げるということなのかもしれない。人生は満たされるのを待つものではなく、意思を持って満たしていくものなのだろうと思うようになった。
ずいぶん遠回りしたように思える。しかし、これは遠回りなどではなくて、私にはこういう道程が用意されていたのだ。サッカーで得た友人、丈夫な足腰、諦めない気持ち、ここでは言い切れないサッカーから得たもの全てが、私の一生の宝物だ。そのおかげで、私はずいぶんと広い世界を見ることができた。


旅に出よう。
起こること全てが美しい旅へ。
何があっても後ろは振り向かない。
そう心に決めて、歩き、走る。
荒い呼吸をする度に、自分の置かれている状況を冷静に見つめよう。
絶対的な真実なんてない。
その時、その瞬間が全てで、自分自身は今でしかない。
自分は何者でもなく、自分なのだ。
その場で感じよう。
行けばわかる。
感じることが全てだ。
旅を終える時は笑っていよう。
愛する人が隣で笑っていたら最高だ。

来年から美大生だ。
by keita-net6086 | 2008-10-23 00:47