2014年3月8日(2月合併号)

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3月に突入してしまいました。
三寒四温という言葉をそのまま表したような日々の連続に、
なかなか自分のペースを保てずにいます。
分かっているのにどうもうまくいかない。
そんなモヤモヤを毎日感じていて、どうやったらそれを振り払えるのか模索の毎日です。
たぶんこういう時は大胆な行動というか、決意のようなものが必要で、
楽な方向を模索するのではなく、
むしろどんどん自分に課題を出していっぱいいっぱいにさせるくらいの方が、
僕の身体にはあっているような感じもします。

よっしゃ、やってやろうじゃないか。

そうやって自分が奮い立つ状況を自分でつくる。
そうやって地道にやっていくしかないのですね。
まだまだ全然自分をコントロールできていません。
28年も生きているのに悔しい限りですね。

いつまでこんなことを繰り返さなければならないのか...

と、ふて腐れてもしようがないから、
とりあえず今日、明日やるべきことを整理するのです。







中学生の時、サッカーをやっていた僕は一度だけ大きな怪我をしました。
右足の太ももとふくらはぎを繋ぐ関節の外側の筋を伸ばしてしまい、
一ヶ月間走ることが出来なくなってしまったのです。
当時、中学2年生だった僕はレギュラーとして試合に出場していたけれど、
その怪我によって1ヶ月の間僕のポジションをチームメイトに明け渡し、見守りました。
ボールを蹴れない以上、僕はサッカーができないと思っていました。
しかし、すぐにその考えが間違っていることに気が付きました。

ボールがなくたって、サッカーはいくらだってできた。

そのことに気づいたとき、僕のやるべきことは明確になりました。
普段おろそかにしていたウェイトトレーニングに打ち込み、上半身を鍛えました。
あるいは、試合や練習を客観的に見ることで、分析力と問題解決力が身に付きました。
今ここで述べていることを当時から今ほどきれいに整理できていたわけではないけれど、
そういうことを明確に感じた瞬間をはっきりと覚えているのです。

それは、怪我から復帰した最初の紅白戦でのことでした。
控え組で出場した僕はレギュラー組の僕のポジションにいるチームメイトとマッチアップすることになったのです。
試合が始まって間もなく、自分の変化に自分で驚きました。
申し訳ないほどに、レギュラー組のチームメイトが小さく見えたのです。
それは、「僕が怪我をしていた1ヶ月間、何をやってたんだ?」
と思ってしまうほどの驚きでした。
彼は間違いなく毎日僕の目の前でサッカーをしていたし、
試合にもレギュラーとして出場していました。
その彼が、この1ヶ月の間に実力を落とすはずがないから、
たぶんこの感覚は自分がこの1ヶ月の間に成長できたことの証なのだと感じることが出来たのです。
そしてそれは、僕自身の驕った感情に頼ったのもではなく、
前半終了を以て僕がレギュラー組に復帰したことを考えれば、
この一カ月の間にできた僕と彼との差は、監督の目にもはっきりと映っていたのだと思います。

この経験が、まだ13〜14歳の記憶が今でも僕の内側に息づいているのは、
それほど価値観の揺さぶられた証拠なのでしょう。

大事なのは「幅」

だと、体で理解した瞬間だったのです。
ボールを蹴るだけではダメ。
筋トレをするだけではダメ。
走るだけでもダメ。
考えるだけでもダメ。

大切なことは、
全ての経験を「糧」にすること。
自分の生きた1分1秒を糧にすること。
サッカーが上手くなりたかったら、
料理が上手くなりたかったら、
絵が上手になりたかったら、
良い先生になりたかったら、

全ての経験を無駄にしない覚悟を持つこと。

それに尽きるのだと思います。
疲れると、未だに痛む右足の筋が僕を戒めるように、
常に前進と変化を求める僕の人生の若かりし時代の上で、凛々しく立っています。



事実になる



とは、言葉や行動を発するという自らの能動的行為を以て完了するのではないでしょうか。
発するという行為はあくまで能動的行為であって、自らの意志があることが基本原理になる。
一方で情報は否応なしに自分の内側に絶え間無く侵入してきているから、
それはとても受動的で有意志に関わらず自分の内側にどんどんおさまっていってしまう。
私たちは、その莫大な量の情報を整理する間も無く内側に蓄えていっている。

「声を出して読みましょう。」
「話してスッキリした。」

というのは、あまりにも多くの情報に困惑してモヤモヤしていた自分に、明確なヒントを提供するということだと思う。
前述したように、自分の意志ののった行為を通すことで、初めて事と自分が向き合い実を結ぶ。
事を世の中における事実として見ることで、
自分でも、こんなこと思っていたんだ。
自分ってこんな人間なんだと再認識することになる。
黙っていては事は実を成さず、本当に何も始まらない。
事と向き合うために自分の内側から発ることで、事を世の中に出してみる。
世の中に出した時に初めて事実となる。
そうやって少しずつ事実を積み重ねるために、

発する。

これ、大事だなーと寝てて起きかけの時に思ったので、急いで書き綴りました。笑
自分で、俺は何を考えながら寝てんだ?
とおもいました。



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丸くなる



丸くなるっていうのは、角をすり減らしていくことではなくて、寧ろ角を増やしていくことで多角的になることだと思う。
角を増やし続けて拡張的に円を描いていけるなら、それは良い人生を送れているということかもしれない。
たぶん僕はそういう生き方だと思う。
4角形が5角形に。
5角形が6角形に。
今、僕は何角形くらいだろうか。
もっともっと角を増やしていかないといけないだろうな。





2月合併号はこの辺りで。
3月はちゃんと前後半で記事を更新できたらな、と思います。
それではまた次号。
ではでは
by keita-net6086 | 2014-03-08 08:21