2013年8月26日(8月前半)

e0102806_22152470.jpg


調理師試験の勉強を言い訳に、8月前半の更新を先延ばしにしてしまいました。
書きたいことが沢山あるのに、文字に起こす時間を優先的に考えられず、
借金を背負ったような気分でこの10日間ほどを過ごしてきました。
それくらいこの場所が僕にとって重要な位置づけにあって、
日々徐々に乱れる呼吸を整えるような、
自分が向かうべき場所を再確認するような、
そんな場であったり、時間であったりするのです。
試験を終えて、やっとこの場と向き合うことができました。
既に8月も終盤というこの時期ですが、8月前半の更新です。



e0102806_22154297.jpg




あの時聞いた言葉



ある日の真夜中。
自転車でいつもの道を、いつもの時間に走っていた時の事、
ふと、20代になりたての大学3回生の頃を思い出しました。
何故このタイミングでそういった場面を思い出すのか全く見当もつかぬまま、
その時のことを頭の中で思い巡らしたのです。
それは、僕が家路につくほんの10分かその程度の時間の話です。

僕が思い出したのは、六本木で行われた若手企業家による啓発セミナーの事です。
なぜこの企画に参加したのか、その経緯は何だかうまく思い出すことが出来ません。
しかし、このセミナーの時の10畳程の会議室の雰囲気、集まった大学生たちの醸し出す空気感、
若手企業家の本意の掴めぬ口調などを今でも明確に覚えているのは、
幸か不幸かこの時間は、僕にとって価値のあるものだったということなのだと思います。
このセミナー自体は、可能性豊かな若者にお勧めしたくなるようなものではありません。
法に触れるようなことをしているわけではないのは分かるのですが、
ちょうど、社会というものをリアルに感じ始めた時期の若者に「チャンス」を与えると言って、
その若者達の持つ自分や社会の未来に対する「期待感」を利用しようとするような感覚を覚えたのです。
少なくとも僕にはそう思えました。
なぜなら、彼らの目は対等ではないというか、少なくとも「僕たち」を見てはいませんでした。
僕たちを見る前に、彼らの目は僕たちの持つエネルギーだけを見ていました。
僕がそれまで多くの人に育まれ、僕自身も育んできた「僕であるという土壌」に彼らは目を向けず、
その土壌の中で際立って表出した、光り輝く芽だけを摘もうと考えているようでした。
そんな彼らに僕は全く魅力を感じることは在りませんでした。
むしろ、「なぜこんな魅力に乏しい人たちが成功しているのだろう?」って、
そのセミナーに参加しながら、僕は少し客観的にそう思っていたのです。

あの時の1人の若手企業家の言葉を今でも思い出すことがあります。
「わかってて動かない奴と、わかんなくて動かない奴、どっちがダメだと思う?」
という言葉です。
当然彼は「わかってて動かない奴」がダメだと堂々と語りました。
当時は感情的にしかそのことに対する反発心を抱くことしかできませんでしたが、
今でさえやっとその時のことに、

「どっちがダメでもない。」

と冷静に応えることができるのだと思います。
その若手企業家は何を持ってそう述べたのかはわからないけれど、

そんなに単純じゃない。
生きるのはそんなに単純じゃない。

と今ならそうはっきりと言いたいと思うのです。
これは当時の自分に後悔の念を抱いているわけではなく、
今僕が向き合っている多くの力ある大人たちにそう言いたいのです。
やはり、世の中に対する積極的なアプローチはお金稼ぎではないと感じています。
お金はただの副産物であって、本当に大切なことは出た芽を育むことだと思うのです。
みんなで「教育」をしよう!
と言いたいのではありません。
そういう姿勢が、最も積極的な世を良くするための施策だと思うのです。
その立ち位置にいると、
確かに今は生きるのに苦しい社会なのかもしれません。
子どもに目を向けられない精神構造を育んでしまうのだから。
大犯罪を犯した少年は「母に愛されてなかった」と、そう言ったそうです。
昨日、カフェで見たお母さんはまだ生まれて2,3年しか経っていない子に怒鳴り散らしていました。

もう、やめませんか?と言いたい。
こうなることはわかってるじゃないかと、そう言いたい。
でも、大人も子どもも、おじいちゃんもおばあちゃんもみんな人間。
それこそ、そんなに単純じゃない。
どうしたらいいのかなんて、小さな一人間である僕がわかるはずもない。
だけど、そのことに不思議と絶望感は抱いていない。
何とかなると、何とかできると、そう思っている。


あのセミナーで感じた違和感と、そこから生まれたえも言えぬ反発心は、
たぶん今でも僕を支えているのです。
あの時のあの言葉がきっかけで、僕は一つの宝物を得ることが出来ました。
それは「ピエロの筆」です。
僕は、あの時のあの言葉に対する違和感を行動に移したのです。
そう捉えれば、あのセミナーは僕にとって価値のあるもので、確かに啓発されたのかもしれません。

こんな絶望的な状況で僕がポジティブでいられるのは、
たぶん動物や植物たちの示す「理」とそばにいてくれる「仲間」の存在のおかげなのです。




言葉にするととても長いけれど、
こんなことを思ったのは自転車をこぐたった10分という時間。
湿気もなく、いつまででも自転車をこいでいたくなるような気持ちのいい夜でした。
by keita-net6086 | 2013-08-26 22:16