2013年5月30日(5月合併号)

e0102806_1712076.jpg


梅雨入りしましたね。
梅雨の間に植物たちがしっかりと水分を蓄えて、
しっとりと色の濃さを増し、
夏の厳しい日差しに耐えうる体をつくる準備の季節。
5月半ばに更新ができませんでした。
僕自身、5月は本当に準備の時期で、
6月に起こる変化に向けて、
頭と体と環境を整えることに必死でした。
毎日やるべきことがいくつもあって、
それを終えるとあっという間に1日が終わっています。
PCの前に座ってゆっくりとブログを書く余裕もなく、
精神的には折れそうになる気持ちを、
経験を積み重ねることで築いてきた自分なりの治療法で、
自分に精神的安定をもたらしていました。
27歳には何か大きな変化がある。
そうやって数年前から直感的に感じていたのは、
満更間違っていなかったようです。
それについては、28歳になる頃、
また詳しくここに記していこうと思います。
5月前半の更新が出来なかったので、
前後半合わせた合併号の更新です。



e0102806_175207.jpg




neutral




鳥を自分でさばいて食べたとき思ったことを話そうと思う。
それは、世の中のシステムや社会的価値観に引っ張られて自分を動かしている限り、
きっと僕は幸せにはなれないだろうと思ったということ。

あまりにも話が飛躍しているから順を追って話す。
鳥の命を自分で落として食べることが、
僕の中であまりにもシンプルなこととして受け入れられた。
「なんだ、これができればいいんじゃないか。」
って純粋に思った。
これまでの27年間、とても複雑なことを考えていた自分に驚かされるほどだった。

これまで、ずっと自分は何かにならなくてはいけないと考えていた。
そのために、そのための手段や行うべきものを必死に考えてきた。
難しいことも沢山考えたし、
難しく考えすぎることだって多々あった。
自分の中で問題が山積みになって、
それらが絡み合って複雑化し、
なんとなく、その試練に耐えられるかどうかが自分の中での課題になっていた。
「一生懸命が大事。生きるのは大変なこと。」
僕の意識の根っこの部分で、それが活力となっていたし、
それが効果を発揮したとき、充実感を感じてもいた。

そんな僕の27年間が、鳥を食べたときにひっくり返された。
「あれ、生き死にってこんなにシンプルだったんだ。」
鳥を殺して、僕はそれを食べて生きる。
ただそれだけだった。
感情的な問題は何もなかった。
自分を高ぶらせることもなければ、
降ってきた感情に苛まれることもなかった。

これでいいんじゃん。

そう思ったら、
僕は自分でちゃんと生きたいという意識がとても強くなった。
自分の名前で仕事がしたい。
そうじゃなきゃ、自分をより輝かせてくれるようなものに自然と近寄っていったり、
心から尊敬できるものと自然と寄り添ったり、
そういった、自分が本当に素敵だと思うような出来事が絶対起こらないなと思った。
e0102806_17124413.jpg

何にも引っ張られないニュートラルさと、
何にでも寄り添う柔軟さをしっかり持つには、
僕はしっかり渡辺圭太である必要がある。

そういう風に生きれたら、
たぶん幸せになれるって確信に近いものを感じてしまった。

自分の真ん中でいられたらとてもいい。
とても素敵な人生を送れる。
そのためのベースは自分でつくる。

その時決心した。
自分の名前で働くことを。
決心して思った。
実は小さいころからずっとやりたかったことって、
こういうことなんじゃないかって。

「 NEUTRAL 渡辺圭太 個人事務所 」

やることは至って簡単。
僕の今、目の前にあること。



e0102806_17122482.jpg




感覚を分析する




自分の感覚が捉えた、どうしようもなく惹きつけられてしまうものがいくつかある。
その中の一つの話、

鉄塔の話。

電波塔とでもいうのだろうか。
電波は出してないだろうからそうは言わないか。
田舎でよくこれを見かけるのは、比較的広い範囲の電線を繋ぐ役割を担っているからだろう。
僕の育った田園地帯にもこれが恐ろしいほど乱立している。
だから僕の原風景ともいえるものだけれど、
そういう理由でいまだに惹かれるというのは、
なんだか自分の中で説得力が足りない気がする。
あの鉄塔の何が僕をここまで魅了するのか、
全然分析しきれていない。
わからないことが嫌いな僕は、
魅了されているが故に問題を課せられているような気分だ。

こういう自分の感覚を分析するとき、
自然と自分の中で行うのは、
対象の客観的要素を抽出して自分の経験的感覚と照らし合わせること。
その作業を行うと、自分と対象の共通理解が進む。

鉄塔について言えば、
広大な田んぼの上に長い電線を通したり、
山と山とをこれまた長い電線で繋いだりしている。
「難しく考える前にデカイの立てて、繋げちゃえばいいでしょ。」
的な感覚を覚える。
こういう、とりあえずやっちゃおう!
やらなきゃわからん!
そういう大胆さはものすごく共感できる。
山の斜面に立って、
広大な自然をものともしないその凛とした立ち姿は、
なんだか格好良くもある。

この、基本的に肯定しようとする姿勢こそが「好き」というものな気がする。
「好き」って領域になるとこれがいきなり難しくなる。笑
だからそこには言及しない。

お分りの通り明確な答えは出ない。
けれど、この分析する過程が大切で、
この作業を行うからこそ自分のアンテナが広い範囲に張られることになる。
日本中を覆う電線のように。
感覚を感覚のままに蔑ろにしておかない。
自分が世界から拾い上げた、世界と共鳴した感覚を丁寧に扱う。

この過程は、僕の可能性をどんどん広げてくれる。
良い表現に繋げることが出来れば、
これ以上の喜びはない。
良い表現は、いい循環を呼ぶから。
僕は良い表現を心がける。
感覚の分析の目的はそこにある。





5月合併号はこんなところで。
6月からは生活の変化と共に、
新たなステージの中で新鮮に感じたことを記せていけたらと思います。
それではまた6月中旬に。
ではでは。
by keita-net6086 | 2013-05-30 17:14