2012年8月31日(8月後半)

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残暑。
実はこれが一年で一番暑い。
7月、8月と灼熱の太陽で地表や海面がどんどん暖められて、9月にピークを迎える暑さ。
あと一ヶ月もすれば徐々に気温も下がっていくのでしょう。
暑いのもあと一ヶ月と思えば、この一ヶ月はなかなか無駄にはできない。
9月もしっかり計画を立てて、ことを前に進めなければ。
最近は、PCがウイルスにかかって学校の課題等の予定がずれ込んだりしたけれど、
やるべきことは明確で、精神的にも安定した日々を過ごしています。
PCも戻ってきたので、いよいよここからペースを上げていきます。
8月後半の更新です。



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おこがましい自分



僕は文字を書くのが好きなんだけれど、こんなに愛情を注げるようになったのはつい最近のこと。
たぶんこのブログや、ピエロの筆のHPで沢山文章を書いてきた影響だと思う。
それに伴って、自分の中で妙な現象が起き始めている。

ふと、昔読んだ本を手にとってパラパラと読み返していると、
かつて、その文面から何かを吸収しようと必死になって文字を追いかけていた自分はもうそこにはいなくて、
今は、その文字をチェックしている自分がいる。
「ここはもう少しドライな表現のほうがいいんじゃないか?」
なんて。
そう思った瞬間、自分自身に対して、なんて調子乗った野郎だ!
と思ったりもする。
でもこれはきっと悪いことではなくて、僕自身が文章で表現することに対して、
ある程度の自信やプライドを持てるようになった証拠なのかもしれない。
もしくは、ちゃんと「表現」というものと向き合えるようになったってことかもしれない。
どう表現したら、より共感性を持たせることができるのか。
どう表現したら、より深く入っていくのか。
表現と向き合う。
そのことの上に僕自身立っているから、表現方法に対して口うるさくなってきているのかな。
自分の立場はわきまえているつもりだ。
それでも尚、表現者としてのプライドを保っていたい。
「ほどほどにね。」
そう自分に言い聞かせ、あの頃の自分との距離を確認する。
少しは成長できたかな。



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上野原



思い出に残る町。
そんな町がいくつかある。
それを分析することは、町を分析しているようで、結局は自分を分析しているに過ぎない。
上野原という町は、自動車の免許合宿を行った町。
ピエロの筆で、ひかり祭りの時にホテルに宿泊した町。
僕にとってはただそれだけの町だけど、山の高低差を生かした町づくりは、
僕の興味を引き付けるもので溢れていた。



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教育の柱



僕は教員を目指す立場にあって、教育に関するさまざまな文献を手にしている。
ナカニシヤ出版から出されている「教育学の基礎と展開」(相沢伸幸2007)の中に「教育の柱」という記述があった。
それは「徳育」「知育」「体育」に近年では「食育」も加わり、この4つが教育の柱と言われることがあるそうだ。
この教育の4つの柱について、これまで僕自身強く意識することはなかった。
しかし、思わぬところで自分の大事にしていること、漠然と大切にしてきていたことと、
教育の柱の一つ一つがリンクしていることに、この本を手にした時に気がついたのだ。

徳育
人の間で生きることで、人を学ぶということ。
教育を志す僕が、人に対して無上興味や好奇心があることは言うまでもない。

知育
「学び続けること」。
これは僕の生きる姿勢。
体を動かすことも、文献を読んで頭を動かすことも、その姿勢に貫かれる。
レイチェル・カーソンは「知ることは、感じることの半分も重要ではない。」と言った。
僕もそう思う。
しかし、感じた上での知は、圧倒的な価値観を持って自分の中に存在することを、僕は知っている。

体育
小学校1年生から、大学生まで、サッカーしかやってこなかった僕にとって、
体を使うことは心や脳を整えることにさえ、貢献してしまう。
自分の体を使うこと。
自分のこの形を知って、その形を持ってこの世界を知る。

食育
これは、ここ数年僕が重要視しているテーマで、未だ勉強中でわからないことばかりだ。
ただ、少しずつわかってきていることは、心を生かす食事をすることが大切と言うこと。
あまりにも多様な食べ物が身近に存在する今は、良し悪しは決められない。
重要なことは、少しずつ、食べることによって心が生かされる感覚を積み重ねていくことだ。

これらの教育の柱が、何のために存在するのか。
僕がその問いに答えるならば、「魂を育てるため」としか言いようがない。
頭を育てることでも、体を育てることでもない。
地球に生れ落ちた僕たちの魂が、この体を借りて育てられるということなんじゃないだろうか。
魂、心、それらを育てなければ、
いつまでたっても同じことを繰り返すだけの、世の中になるんだと思う。

精神的、宗教くさい話ばかりで嫌ですね。
やめます。笑



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17歳、23歳、27歳



「17歳と23歳で、人はアイデンティティーを確かめる。」
という話を聞いたことがあって、
僕自身明確な理由なく、漠然と経験的にこの言葉に納得してしまっている。
ただし、ひとつ我がままを言うなれば、ぼくはここに27歳を付け加えたいと思う。
僕自身、17歳と23歳で大きな決断をしてきた経緯がある。
そして、27歳を迎えた僕は、この1年でまた大きな決断をしなくてはならないだろう。
それは、消極的なものではない。
自分の人生を前に進めるための積極的な決断だ。
今の大学に入って4年目、いよいよ卒業を迎える。
27歳で学生生活を終える。
これから、何の肩書きも持たない渡辺圭太を作っていかなければならない。
僕は何がしたいのか。
僕は何ができるのか。
もっと奥へ。
もっと奥へ。
17歳の決断から10年が経った。
この10年に自信を持って向き合うために、27歳の1年間があると思う。
「何やってんだ!」と17歳の僕に言われないような1年を、
もうとにかく歩くしかないんだと思う。
これからもずっともがき続けなきゃならない。
26歳はやった分だけ成果が出た1年だった。
27歳はもっと素晴らしい一年に。
早一ヶ月が経とうとしています。





九月前半はやることてんこ盛り。
そんな中で、何を綴れるのか自分でも楽しみです。
それではまた、9月中旬に。
ではでは
by keita-net6086 | 2012-08-31 16:08