2011年10月18日(10月前半)

「計画的に」と息を吐いた10月頭。
前半は6日間の授業にもっていかれた感じで、あっという間に10月後半。
なんて時間のスピードって速いのでしょう。
いや、俺が焦っているだけか。
「まだ10月かよ」という人や「もう年末だ~」という人もいる。
言葉にとらわれています。
「言葉にするな」と自分に言い聞かせている時点で言葉にしている。
最近グルグルしている。
そして、やたら寒い。
コーヒーがやたらと旨くなってきた。
10月前半の更新です。



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朝5時に…


首都高渋滞。
なんて勤勉な国民なんだろう日本人は。
でも、もっと余裕を持って、肩の力を抜いて、楽しく生きてみてもいい気がする。
と、車を運転しながらぼーっと思った。


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みたゆめ



文化祭か何かだろうか?
友人や家族、芸能人が沢山共演し、同時に見ている夢をみた。
僕は汚れて、やりたいことをやって、グチャグチャでハチャメチャなんだけど、一本の芯の通った主人公だった。
全然格好良くないし、全然バカっぽいけど、舞台を終えた僕は皆に賞賛され続けた。
みんなの前で最後に一言求められた僕は何かを力強く語っていたが、何を語っていたのかは、夢から覚めて起きて、必死に思い出そうとしても思い出せなかった。
だけど、格好悪い役を終えて、力強く雄弁に語る。
このことが何だか、とても正しい事のように思えた。
こういう格好悪い生き方が、僕の生き方なのかもしれない。

とても長い夢だと思ったけど、起きたら眠りについてから4時間しか経っていなかった。
何故か心の持ちようは、良いようである。



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信頼というベース

がなければ関係はうまくいかない。
アイツは絶対俺を見捨てないという情緒的な安定があってこそ、自己実現や自己向上に精神が向かうわけで、情緒的な安定がなければ、不安や負をぬぐい去るための行動に力を注いでしまう。
生きることがまるで苦しいことのように生きることは、自分たちの先に待つ子どもたちにそれを押し付けることになる。

そんな連鎖はやめよう。物事は連鎖する。連鎖させるなら喜びだ。

嘆きの歌は共感や慰めでしかない。
自分自身で先へ進むため、地に落ちないようにしてくれるマットのようなもの。
それはとても大事なものだけれど、マットはトランプリンではないから高くジャンプできない。
やはり自分の力で這い上がるしかない。



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僕の人生がシフトしたこと



最近、ゴキブリすら殺すのをためらうズルい人間になってきた。
今描こうとしてる絵のこともあって、死生観について考えることが多いからだろうか。

このことがもしなかったら、「僕はきっと普通に就職して、自分は止まっていて、自分の体と社会はどんどん進んで行くような生き方をしていただろう。」ってこと。

それは目の前で、本当に好きな人の死を目の当たりにしたこと。
祖父の死、愛犬の死。

もっとも根源的なものに触れた気がして、その他のものがすべてくだらなくみえた。
今の日本の生きる仕組みだと、どうしてもそういうことを忘れていってしまうように思う。
だから、表現するものはその場所と時代を感じて、かたちにしなければならないのだろう。
みんなが完全にそれらを忘れていってしまわないように。
大切なものは何なのかを追い求める目を失わないように。
ある人が僕にくれた言葉が、やたら僕を納得させている。
「デザインは導くこと、芸術は考えさせる(気づかせる)こと。」
芸術家でも何でもない僕が、表現活動にもがくのも、きっと少しだけ気づきかけてるから。
まだまだだけど、必死こいて一生かけて表現しなければならない何かがあるって感じてるからなんだろう。
その何かがわかるのはきっとずっと先で。
答えがないことに、一生懸命突っ込んでいく。
一生やるんだな。



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友達ができた



ウチから一番近い公園で絵を描いていたら、小学生が寄ってきて友達になった。
教師になるから、数年後にはおそらく僕は全ての小学生を生徒として見てしまうのかもしれない。
それは嫌だな。
歳は関係なく、友達として接するととても気持ちが楽で、学ぶことが沢山ある。
今日は現代版スケボーみたいのを9歳に教わった。
彼らが1年かかったところを5分でやってのけた時、16年長く生きてるだけはあるなと自分で思った。
チビからジジイまでみんな友達。
それでいいんじゃないのか。
ロビン・ウィリアムス主演の「ジャック」、とてもよかった。
観た時期と僕のこの経験の時期が重なって、映画が深く入ってきた。
先生になっても忘れちゃいけない。
うん、忘れちゃいけない。




2年前の記事から



何だか読んでて面白かったので再アップ。

『喫茶店時光』

「最近の話である。
僕が自分のHPを躍起になって作っていた時に同じ部屋にいた母親にこのようなことを言われた。
「あんたはそんなことしてていいの?今は人生の岐路に立って何かを一生懸命やるときじゃないの?」
僕はその言葉を聞いた瞬間頭の中が真っ白になったのだ。母親の言っていることの意味が全くわからなったのである。
僕は17、8の頃から自分の人生を考えなかった日など、おそらく1日としてない。それに加えて、その時も自分で決めたことを自分なりに取り組んでいた最中だった。
困惑から言葉がです、心臓がドキドキした。
親と言えど自分ではないということを改めて認識した瞬間だった。


 もう一年あまり喫茶店でバイトをしているのだけれど、バイトの事についてここで触れるのは初めてかもしれない。僕よりもいくらか年をとっている店であるので、下町という場所柄も相俟って常連さんが多く、くだけた話をすることも多い。言うまでもなく常連さんたちは僕よりもかなり人生において先輩であり、人柄も様々なのである。

 大学院の教授を経て学芸員の館長をしている先生には、僕が読書好きということもあって時々本を借りる。一体どれくらいの時間を費やせばこういう色になるのだろうという本をいつも読んでいるのだ。女性に対して失礼かもしれないが、先生は思わずおばあちゃんと声をかけてしまいそうになるほど僕にはお年を召されているように見えるのだが、ブルース歌手のようなしっとりとした声で落ち着いてはっきりと話す。話す言葉の随所に、持っている知識の多さと深さを感じる。 先生は時々博物
館で行われる展示の招待券をくれる。たばこはチェリー。僕と同じだ。

 いつもブレンドを頼み、ブスッとした顔で新聞を読んでいるのは、白髪と年季の入った皺がよく似合う20年来の常連さんだ。それだけ通いつめていれば気さくに世間話の一つもすればいいと思うのだが決して喋らない。会計時に「どうも」と一言残すのみだ。しかし、この愛想のないおじさんが僕は好きだ。ブレンド、かしこまりました、お待たせしました、どうも。僕が交わしたことのあるコミュニケーションはたったのこれだけ。だけど僕はこのオジサンが好きだ。品があるのだ。礼儀正しいとか格好がいいとか、そういう上っ面の品ではなくて、もっと大きくて深い人間としての品の良さ。それを感じるのだ。僕の友人や店に来る若い人の中にも、本当に小数ながら人間的な品を感じる人はいる。僕はそういう人間が好きなのだろう。

 カウンターに腰掛けて、混雑時も関係なくスタッフに話しかけまくる初老のおじさんは板前さん。しかし、最近話題の派遣なのだ。話題も話題、タイムリーに首を切られたらしいのだ。家にいてもすることがないのか3時間も店に居座り話っぱなし。帰ったと思ったら二時間後にはやってきて、再び3時間ぶっ通しでスタッフに話しかけていた。6時間も話されれば半分以上は聞いていないのである。

 グッチのサングラスにシャネルのバック、高級そうなダウンにセンスのいい香水をつけてやってくるのは某大物有名女優。旦那といえば「○○○巻き」と重低音の聞いた声で有名な、こちらも大物俳優。夫婦揃って売れっ子である。なぜこの店を気に入ってやってくるのだろうと不思議に思うのだが、律儀にスタンプを集めているところなどに親近感を感じ、なんとなく素敵だなと思ってしまう。

 ここで紹介した以外にも、まだまだ紹介したい個性豊かな常連さんたちがいるのだ。
コーヒーの匂いとタバコのにおいが入り混じる店内で繰り返される人間模様の中で、せかせかと働いている僕を親しくしている友人が見れば、きっと信じられないほど別人になっていることに気づくのではないか。自分でも、あの空間にいる時の自分は少しいつもと違うように感じるのだ。
僕は一年ほどここでバイトを続けていて、今ではスタッフとして必要とされているということも感じるのだが、この空間はまだまだ僕を受け入れてはくれないのだなと感じる。この店が長い年月をかけて自然と築き上げてきた、とても暖かくて自然な空気は僕にはまだまだ大きくて馴染まないのだ。
 たかが下町にある小さな喫茶店なのである。どこまで行っても狭い世界なのである。だけど、その狭い空間に様々な性格、その時の感情や事情を持った人間が出入りすることで、狭い世界がとても豊かに彩られるのだなと思う。歴史というものの重さを感じているのかもしれない。僕みたいな若造の血もその一つかもしれない。


 僕は、一杯のコーヒーを楽しみにやってくる様々な人間を不思議な空間の中で見ていると、自然と自分の将来が楽しみになってくるのである。僕はどうなるのかな?

もしかしたら明日には死んでしまうのかもしれないね。お先真っ暗なんだ。でも僕はそれに絶望はしない。何もわからないから楽しいのだろう。
 どのような人間が僕の中に出入りし、どのような歴史が刻まれて、僕はどんな人間になるのかな。


 とりあえず、ギターの練習をしながら、明日のコーヒーとタバコを楽しみにするのである。」







次回はコーヒー特集かな。笑
東京も紅葉真近の10月後半にまた。
by keita-net6086 | 2011-10-18 10:34