ある体験

バンバン更新すると言っておいて更新頻度の低い僕です。

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最近、くもを描いてます。
水彩画を勉強しようと思って、まずは大きなものからいこうということで。
まあくもってよりは空を描いてるのかな。

くもを描いていると、いつもより増して「ある体験」をします。
そのある体験は様々な場面で経験することだけれど、
くものようなふわふわした掴みどころの無いものを「つくる」と、それはより明確になります。

では、そのある体験とは何か?

それはものの「つぶやき」を聞くということ。
あの最近流行ってるオモチャとはちがいます。(あれはつぶやきじゃない)
そのものに、誠心誠意耳を傾けると「つぶやき」は聞こえてきます。
しかし、待っているだけでは聞こえてきません。
自らそれに一歩踏み込む必要があるのです。
つまり、まずは自分から覚悟を決めて能動的に働きかけるということです。
その覚悟をもって一歩踏み出せば、きっと聞こえてきます。
ものの「つぶやき」が。

真っ白な紙は何も求めません。
それはあまりにも寛容であるからです。
しかし、そこに一歩足を踏み入れた瞬間、あまりにも寛容な世界に恐怖を感じます。
「自分にはあまりに力がない。」
そのことがありありと突きつけられます。
何も求められないからです。
求められるということは、何も考えずにそれを行えばいいだけ。
一概には言えないけれど、これは楽。
では、何も求められないときどうすればいいのか。
自分を捨てるしかありません。
そうするときっと聞こえてきます。
どうすればいいのか、手を差し伸べてくれます。

一筆入れるとつぶやきが聞こえてきます。
「こっちへいきたい。こっちへいきたい。」
それに耳を傾ければいいのです。
その時、我執が出るとブサイクなくもになります。
つぶやきに従えば、いやあくまで耳を傾ければ、体は心地よい導きを受けて筆を走らせます。


実は、どんな時でもものはつぶやきます。
包丁を使うとき、包丁はつぶやいています。
自転車に乗っているとき、自転車はつぶやいています。
もちろん、自分の体もつぶやいています。
心臓の音を聞こうとするとよくわかります。

そのつぶやきは要求ではなく、ただただ導くものです。
要求ではないからこそ、一歩足を踏み入れてつぶやきに耳を傾ける必要があるのです。



こんどは「理」の話をしようと思います。
さて、次は木を描こうか。
by keita-net6086 | 2011-03-31 14:29